100年以上の歴史を持つ日本の企業であるオリンパスは、主にカメラ事業で多くの人に知られています。今日、オリンパスが医療技術ビジネスで成功を収め、内視鏡の分野で世界市場をリードしているという事実を知る人はまだそう多くはありません。J-BIGでは、DACH地域(ドイツ、オーストリア、スイス)マネージングディレクターであるDr. Harald Dremel(ハラルド・ドレメル博士)氏に、総合映像企業から世界的な医療技術専門企業に発展した経緯、ハンブルクで始まったドイツ事業の経緯、現在の製品・サービス事業の位置づけについてお話を伺いました。また、新しいドイツ人CEOの日本でのこれからの活躍についてもお話しました。ちなみに、お醤油についてのお話も。
――100年以上前、オリンパスはどのように始まりましたか?
ハラルド・ドレメル:オリンパスは1919年10月12日に設立されました。多くの神々が住む日本の山、高千穂にちなんで、「高千穂製作所」という名づけられ、オリンパスというブランド名は1921年、当時専門に扱っていた顕微鏡のため、後に導入されました。第二次世界大戦後、社名を「オリンパス」に変更したのは、神々の住む山というイメージを国際的なレベルにまで高めたいという意志の表れでした。ギリシャ神話の中で山はOlympusと呼ばれています。製品は顕微鏡から始まり体温計、そしてレンズの分野にも足を踏み入れました。当初から光学、画像情報のバンドル化、光学コンテンツの画像化ということに重点を置いていたことが後に、特定の分野で力を発揮出来た大きな理由でもあります。
ビジネスのさらなる成長のきっかけとなったのは、醤油の過剰摂取が原因と考えられていた日本での胃がんの急激な拡大でした。1960年代、医学の分野から専門家と企業が協力し、この日本の社会的健康問題の解決への取り組みが始まりました。その中にオリンパスのエンジニアも含まれていました。
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喉から胃までは比較的まっすぐに続いているので、胃の内視鏡検査は比較的簡単に行うことができます。そこからカメラ付きの柔軟なチューブを開発するというアイデアを思いつきました。当初は食道に収まる小さなマクロフィルムを利用したカメラを挿入し、ブラインドで写真を撮影していました。これが日本の胃カメラの始まりです。当時は、ランダムに撮られた画像を後から医師が確認し、診断を下すのに役立つ何かが写っているかを探す、言わば宝くじのようなものでした。そこで、これをうまく機能させる方法を見つけることが次へのステップでした。ここでオリンパスの強みである光学に関する技術が大きな役割を果たしました。一方に光を送るともう一方から出てくるという性質をもった光ファイバーを束で使用し、暗闇に光をもたらすソリューションとして用いられました。そしてオリンパスはこの技術の開発を比較的、迅速に進めることができました。これが、日本の醤油消費が内視鏡技術の成功の始まりと言われている理由です。
――日本と深くつながりのある「食」が社会的健康問題の解決に繋がるイノベーション精神をもたらしたのですね。健康問題が起こってから技術的な解決方法を探したのでしょうか?オリンパスが内視鏡技術のアイデアを考案したわけではないと思うのですが、実際にどのような役割を担っていましたか?
ハラルド・ドレメル:そうですね。当時、内視鏡の研究開発に積極的に取り組んでいたのは私たちだけではありませんでした。しかしオリンパスは初期段階から胃カメラの完成度を高めるために努力を惜しまなかったので、私たちが開発した製品は競合他社のものより群を抜いていました。当初私たちの成果に唖然としていた他の企業にも私たちの内視鏡は好評で、おかげでマイルストーンを築くことができました。医療分野はオリンパスにとって他の多くの光学的応用分野と比べてまだニッチな分野でした。
――ドイツ事業の始まりについて教えてください。
ハラルド・ドレメル:1960年代半ば、私たちはドイツのハンブルグに旅立ちました。決め手となったのは日本とドイツが医療面で密接な協力関係にあったこと、ハンブルグが国際港として機能していたこと、そして日本がドイツ医学を強く志向していたことが挙げられます。大学での勉強の仕組み、若い医師の育成もドイツを手本にしていました。そして日本での内視鏡技術の発展と共に、ドイツでも内視鏡専門センターが登場するようになりました。偶然にも、ハンブルクのWinter & Ibe社という会社が泌尿器科用の硬性内視鏡を作っており、従来の硬性内視鏡に軟性内視鏡を加えるという協力体制が整いました。1975年にWinter & Ibe社と協力協定を結び、1979年にオリンパスが同社の過半数の株式を取得しました。
――当初、すでにあったカメラ事業に対して、内視鏡事業は比較的小さかったのでしょうか?
ハラルド・ドレメル:カメラ事業と内視鏡事業は並行して存在していました。カメラ部門はオリンパスのフラッグシップで製品の幅も広く、売り上げ大きな割合を占めています。OM-Dという一眼レフカメラはプロの現場で使われることが多く、またプライベート用の小型のμ(ミュー)カメラは世界的に需要があり、デジタルカメラの開発でも常に最先端を走っていました。しかし、携帯電話との競争が激化しているカメラ市場において、私たちは企業文化に合った別の市場アプローチを考える必要がありました。これが、顕微鏡と医療の分野における専門的な知識に基づく、私たちの変革の旅の始まりでした。今日、100%医療技術企業へと変身することができたのを証拠に私たちの変革は成功したと言えるでしょう。個人用・産業用のカメラや顕微鏡を使った事業は、その間に独立した会社に分社化されました。
オリンパスは内視鏡検査、特に軟性内視鏡検査において、過去40年間、常に70%以上のトップシェアを誇っています。DACHの10軒の病院のうち7軒は、私たちの設備を導入しています。しかし、内視鏡は常に会社の強力なバックボーンであったにもかかわらず、一般市民や2C顧客はまだ当社をカメラメーカーと認識しています。病院では、患者さんが医療機器メーカーのことよりも、他のことに関心があるためでしょう。それ故、未だに「オリンパス」といえば「カメラ」というイメージが強いのです。
――オリンパスは世界的にどのような位置づけなのでしょうか?
ハラルド・ドレメル:私たちのグローバル本社は、東京・新宿のビジネスエリアにあります。日本国内には、開発部門、各種サービス拠点、そして文字通り製造拠点があります。世界では、5つの地域に分かれて本社を置き、世界108カ国でビジネスを展開しています。アメリカには、北米と南米の本部があります。そして、大小さまざまな市場の寄せ集めで構成されるアジア太平洋の強力なフィールドがあり、中国にも大きなな支社があります。ヨーロッパ、中東、アフリカ(EMEA)地域の本部はハンブルクにあり、2020年に真新しいオリンパスキャンパスに移転したばかりです。
全世界で合計31,000人以上の従業員を雇用しており、ハンブルクの本社とEMEA地域の31カ国では、7,800人の従業員が働いています。お客さまとの長年の信頼関係が実を結ぶ「オリンパス」は、扉を開くための合言葉です。カスタマーエンゲージメントを継続的に育むことで、私たちはお客さまとの信頼関係をより強固なものにしていきます。オリンパスの社員は誇りを持って、「人々の生活をより健康に、より安全に、より充実したものにする」というオリンパスの目的にむかって日々取り組んでいます。
――ドイツの社員は、このグローバルな体制の中で、どのような機能を果たしているのでしょうか?
ハラルド・ドレメル:本社に1,200人、生産拠点に1,300人、合計2,500人の社員が主にドイツ市場そしてドイツビジネスの責任者として働いています。ハンブルクはヨーロッパ本社とドイツ支社を兼ねているため、社員はさまざまな役割を担っています。ヨーロッパ本社は、EMEA全体の戦略、事業開発、実施など、グローバルな側面を担っています。それに加え、ヨーロッパはさまざまなクラスターに分かれており、ドイツ、オーストリア、スイスは1つのクラスターを形成しています。このいわゆるDACH地域については、560人のスタッフが勤務し、ドイツ、オーストリア、スイスでプロダクションの最大限化、最適化を目指しています。またDeutschland GmbHはドイツで製品をうまく市場に送り出すため活動をしています。
硬性内視鏡の世界的な生産は、ハンブルクの東部で行われており、made in Germnay です。当社が全体のシェア90パーセントを誇る軟性内視鏡は、日本から輸入しています。また付属品の多くはイギリスから輸入しています。
――硬性内視鏡の開発はドイツと日本、どちらで行われたのでしょうか?
ハラルド・ドレメル:研究開発は非常に分散した形で構成されています。画像処理、ビデオプロセッサー、内視鏡などを担当するエリアそして生検鉗子、針、スネア、早く回るもの全般を担当するエリアがあります。後者はアメリカのボストン近郊に拠点があり、従業員は治療にはどんな付属品や製品が必要なのか、日々考えています。その部署はTherapeutic Solutions Divisionの略で、TSDと呼ばれています。製品のビジネス特性によって、少しずつクグループ分けした結果、日本にはエンドスコピック・ソリューションズ、略してESDという部門ができました。
――オリンパスの製品ラインナップを改めて見てみると、内視鏡がメインテーマですが31000人の全従業員すべてが内視鏡に携わっているのでしょうか?
ハラルド・ドレメル:広い意味で捉えると、そうですね。私たちは、硬性内視鏡と軟性内視鏡を扱う中で、ビジネスモデルや目的を確立してきました。しかし、この2つの領域はまったく異なるものです。医療用内視鏡では、内視鏡が身体に適応するようにフレキシブルに作られており、実際の商品としては、消化器系内視鏡と呼吸器系内視鏡があります。そして、内視鏡の再処理に関する部門もあります。内視鏡は繰り返し使用されるため、再処理が欠かせないのです。これは洗濯機をよりプロフェッショナルにしたようなものを使って行われます。一方、硬性内視鏡は、体内に入って目的の部位に到達することができます。もちろん、当社の製品は画像診断もカバーしており、医療処置に必要な機器も含まれています。硬性内視鏡の幅広い専門知識により、泌尿器科や婦人科の分野で、また胃腸科の軟性内視鏡の分野では、時代を先導しています。また、腹腔鏡による低侵襲手術の分野も充実しており、耳、鼻、喉まで多彩な製品を取り扱っています。そして、ここでもやはり、オリンパスの原点である光学、画像処理が、これらの製品分野において重要であることに変わりはありません。現在、オリンパスは、内視鏡だけでなく、内視鏡治療器や手術器などの多機能な医療機器を提供し、医療従事者による約100種類の病気や症状の治療に役立っています。また、発生率が高い上位4つのがんの治療に役立つ機器も提供しています。
また私たちが大切にしているのは、製品を販売するだけのスポット的なビジネスではなくそれに関する幅広いサービスを提供することです。私たちが販売する内視鏡は自動車のように、整備や修理がとても重要になってきます。
内視鏡の分野に参入した当時は、内視鏡は純粋に診断のための製品でした。現在では、治療の分野にまで幅を広げ、いまはこの分野で体に優しい製品を開発したいと考えています。検査や治療が終わった後、患者さんが安心して帰宅できるようになることが私たちの願いです。
また、オリンパスはお客さまに集中的なトレーニングの機会を提供することにも力を入れています。医師や医療従事者のトレーニングには何十年も前から重点が置かれていますが、これも日本的な長期的視野に基づくものです。オリンパスの機器を使用するすべての人に、早い段階から内視鏡に親しむ機会を提供することが狙いです。このため、ハンブルクのオリンパスキャンパスにはトレーニングセンターを併設しています。
――まだ足を踏み入れていない分野はありますか?また、オリンパスの戦略的な方向性は何でしょうか?
ハラルド・ドレメル: 幸か不幸か、オリンパスには、私たちの事業領域で患者さんがすぐにいなくなることはないという利点があります。人口動態を考えると、誰もが高齢化し、いつかは内視鏡検査を受けることになり、その際にオリンパスの内視鏡が使われる可能性は高いと考えます。私たちはもともと、製品の品質とそれを再現するハードルの高さから、比較的早く大きなマーケットシェア、つまり市場での存在感を獲得することができました。すなわち、私たちは安定した基盤を持っていると言えます。忘れてはならないことは、内視鏡の製品は構造が複雑で、現在でも製造の大部分は手作業で行われています。その為、、当社の高品質な製品は、簡単に代替が利くものではないのです。
しかし、市場の競争は激化しています。それは、単に生産者が増えたからではなく、ファイバースコープからビデオ内視鏡への移行は、体の中を見るのが医者だけでなくなったことを意味する技術的な進歩と言えます。従来は制御装置もなく、ビデオ内視鏡のおかげでその場にいる医療スタッフが観察できるモニターが追加されたのです。しかし、ビデオスコープはファイバースコープに比べ、作るのが簡単なのが難点と言えるかもしれません。フレキシブルなチューブが必要ですが、その前にCCTチップを挿入すれば、あっという間にビデオスコープが完成します。比較的簡単に製造できるため、多様なバックグラウンドを持つ企業にとって、この市場はますます魅力的になっています。それに伴い、多くの供給元が低賃金国で生産しています。
そして、全く新しい分野である人工知能があります。最先端の新しいソフトウェアを通じて、医師はサポートシステム、つまりバックグラウンドで動作する保険のようなものによって、医師を支援し、警告し、サポートすることができるのです。新しいテクノロジーは、当然ながら新しいプレーヤーの市場への参戦を意味します。今のところ、私たちは製品の品質と使いやすさを武器に戦っています。
――内視鏡の品質を左右するポイントは何ですか?
ハラルド・ドレメル:一つ目は画像の解像度です。画像が鮮明であればあるほど、医療従事者の診断に役立ちます。また、体のさまざまな部位に対応する必要もあります。例えば、食道は比較的簡単で、小さなチューブを使用します。しかし胃の中に入ると、大きな胃の空洞を照らさなければならないので、そう簡単ではありません。食道のように小さなエリアと胃のように大きなエリア両方の画像化に対応する光源が必要となってくるのです。この長い間チャレンジだった課題も最近ではLEDを用いることで解決できるようになってきました。画像の一部が明るすぎたり、暗すぎて何も見えないと意味がない、オリンパスは常に画像の価値を理解し、大切にしています。
第二の重要な要素として挙げられれるのが、人体の比較的繊細で難しい部分にも対応できる機器の操作性です。探したいものを正確に特定出来る技術、例えば胃から小腸に入り、胆管に戻って結石を探すことも可能ですが、膵臓から見ることもできます。これらは至難の業です。そしてオリンパスは、それぞれの応用シーンに適したハンドリングをすることに、非常に長けており、これらの分野の多くで基準を定める立場にいます。
――では、お客様に100%満足していただくために、常に細心の注意を払うという日本の文化も大きな要因のひとつなんですね。
ハラルド・ドレメル:確かにそれは私たちが持続的に成功するための鍵です。それは、私たちの研究開発部門と医療従事者との緊密な協力関係にも表れています。私たちの企業文化は団結、共感、誠実さ、敏捷性、長期視野という5つのグローバルなコアバリューに基づいており、それらを非常に重視し、従業員と共に育んでいます。「モノづくり」の実践は、日本以外の多くの現場でも知られています。
しかしその他にもヨーロッパにとって特に重要となる何かがあると思います。私たちは常にヨーロッパ、あるいはドイツに焦点を当てた営業戦略を行ってきました。そのためお客様からのフィードバックを即座に入手し、伝えることができるのです。さらに、私たちはグローバルなキャリアパス、文化交流、そして互いに学び合うことを奨励し、可能にしています。例えば、日本人社員は通常約5年間ドイツに滞在し、私たちのチームの一員となり、その知識を日本に持ち帰ることで、効率化や文化的利益を上げることに貢献しています。このようなグローバルな活動が、私たちを強くし、多くの競合他社から私たちの企業文化を差別化することに貢献しています。
――日本で育まれてきたビデオゲームのようなゲーミフィケーションも、製品の使い勝手に影響を与えているのではないでしょうか?
ハラルド・ドレメル:はい、もちろんです。しかし、それは私たちヨーロッパ人にとっての課題でもありました。日本人にとって、機器にはできるだけ多くのボタンがあり、さまざまな機能があることが重視されます。ドイツでは、医師は複雑でない製品を望み、最も重要な機能を持つボタンがダイレクトに認識できるようにします。私たちは、ヨーロッパのお客さまのために、よりシンプルで直感的に操作できる機器を作り、この文化の違いを調和させるために、常に努力しています。
――オリンパスヨーロッパは非常に長い歴史を持っているため、多くの面で日本からかなり独立しているように見受けられます。東京の本社との連携の面で一番密接なのはどこですか?
ハラルド・ドレメル:コロナが流行する前は、欧米の代表者が日本で本社の代表者と会い、さまざまなことを話し合う国際的なミーティングが行われていました。パンデミックの教訓を生かし、現在はビデオ通話による会議を多く取り入れています。パンデミックの教訓を生かし、現在はビデオ通話による会議を多く取り入れています。しかし、世界各地にいる社員のタイムゾーンが異なるため、終日会議を行うことは困難であり、地域によっては始業時間が早まったり、終業時間が遅くなったりすることが常にあります。しかし、適切なワークライフバランスを保つためにミーティングポリシーを導入し、異文化のチームやタイムゾーンを超えて協力するための解決策を見つけ出しました。また日本との仕事の上で重要なのは信頼関係を築くことです。信頼はゆっくり、慎重に築いていくもので、夜、美味しいお酒や食事をしながらフォーマルな会議では収まりきらない情報を交換する会合もその上で欠かせないことの一つです。私はオリンパスに入社して26年目になりますが、同僚にも私のように長く勤めている人がたくさんいます。日本では、大学卒業後に会社に就職し、同じ会社で定年を迎える人が多いのが伝統です。そのため、信頼関係や長い仕事上の関係が重要な役割を果たします。
また、現在では、日本のトップマネジメントに就任した欧州人マネジャーも数多くいます。もちろん、これは海外のさまざまなビジネス展開に迅速かつ的確に対応するためのものであり、ヨーロッパの視点を持ち込むための新しい可能性を切り開くためのものです。これまでのところ、日本の同僚は日本のお客様から強い影響を受けてきました。もちろん、言葉の壁もありますが、それぞれのお客様のことを一番よく知っているのは地域チームです。それは、新しいリーダーシップがよく理解していることです。私たちの変革が成功したのは、ここ数年のグローバルCEOである竹内康雄が、会社をゼロから作り直した功績によるところが大きいと思います。
――2023年4月からは、日本本社にドイツ人のCEOが誕生します。それによって、オリンパスが世界的なレベルでドイツにスポットライトを当てることになると思いますが、これからどう変わっていくと思いますか?
ハラルド・ドレメル:4月から経営陣に加わる仲間の中には、すでに役員会の一員だった人もいます。たとえば、まもなくグローバル企業の新CEOに就任するシュテファン・カウフマンです。シュテファンは間違いなくこの会社のビジョンを持っており、今後数年間、私たちがどのように発展していくのか今から楽しみです。私たちの良好な信頼関係は今後一緒に働いていく上で私たちの支えになっていくことでしょう。もちろん、私たちはグローバル企業であり続け、グローバル企業として成長を遂げていくでしょう。私たちは1つの医療テック企業でありながら、私たち全員がグローバルな目的を追求するため、それぞれの役割を持ち、重要な責任を果たしています。
――オリンパスは今後どのように発展していけばよいのでしょうか?
ハラルド・ドレメル: 私たちは以前から世界中に多くの拠点を持つグローバル企業ですが、これまでは非常に地域密着型の企業でした。それぞれの地域が独自の考え方を持っていて、その地域にとってベストな方法を常に選択していました。そして、これまで着実に成長し、売上も順調でした。内視鏡の世界的なリーダーとはいえ、近年は競争がどんどん激しくなり、新しいプレーヤーがたくさん入ってきています。だからこそ、持続可能な立ち位置を確保することが重要なのです。そのためには、これまで事業部ごとに異なっていたプロセスやシステムをグローバルに標準化したいと考えています。私たちは以前から世界中に多くの拠点を持つグローバル企業ですが、これまでは非常に地域密着型の企業でした。それぞれの地域が独自の考え方を持っていて、その地域にとってベストな方法を常に選択していました。そして、これまで着実に成長し、売上も順調でした。内視鏡の世界的なリーダーとはいえ、近年は競争がどんどん激しくなり、新しいプレーヤーがたくさん入ってきています。だからこそ、持続可能な立ち位置を確保することが重要なのです。そのためには、これまで事業部ごとに異なっていたプロセスやシステムをグローバルに標準化したいと考えています。それは「事業全体を統一する」という意味ではなく、地域によって異なる商品を提供し続けることには変わりありません。しかし、そのプロセスは共通したものでなければなりません。私たちはグローバル企業であり、グローバルな雇用主なのです。
変革の当初は、かつて外部への顔であったカメラ事業から脱却するとは、伝統や原点が大切にされる日本では、誰も想像できなかったでしょう。会社の大部分はカメラ事業で成り立っていたため、辞めるのは難しい決断でした。しかし、スマートフォンがカメラの需要を変えたこともあり、この一歩は重要でもありました。
私たちのグローバルへの変革は、私たちの組織にとって非常に大きな、そして考え抜かれたステップであったと言えます。これは世代交代にも顕著に表れており、トップマネジメントにも目に見える変化があり、平均年齢も下がってきています。さらに私たちは多くの伝統的および異文化的な課題に取り組んでいます。持続可能な未来の成功のために、適切な後継者も常に探しています。
このような変化の中でも、私たちはお客様との強いつながりを持ち続け、より良いビジネス関係を築いていきたいと考えています。私たちのサービスは、これからも引き続き核となり、お客様や患者さんを第一に考え、人々の生活をより健康に、より安全に、より充実したものにするという私たちの目的のために、絶え間なく努力します。そして、統一されたプロセスによって、私たちは将来、より良く、さらに強くなることができると信じています。そして真にグローバルな企業にしていくことも大きな課題です。お客様のニーズに合わせてビジネスを着実に変化させていくことで、次の100年のスタートを切ることができると信じています。