生きて腸まで届く乳酸菌シロタ株が入った乳酸菌飲料「ヤクルト」は、今やドイツのスーパーマーケットにも並び、約9割のドイツ人が名前を聞いたことがあるといいます。今回のJ-BIGインタビューでは、株式会社ヤクルト本社(以下:ヤクルト)の子会社、ドイツヤクルト販売の社長を務める平野達也氏に、「ヤクルト」という名前の興味深い由来、25年前にドイツに進出してから今までの同社の市場戦略、そして、競合他社や欧州食品安全機関などどのような葛藤があるのか、お話を伺いました。
――まずは、ヤクルトの原点について教えてください。
平野達也:ヤクルトは、創始者である代田稔(しろた・みのる)博士によって、1935年に発売されました。代田先生は1899年に生まれました。20世紀初期の日本というのは、栄養や衛生状態がまだ良いとは言えない環境下で、子どもたちをはじめとする多くの方々が亡くなるような時代でした。この現実に心を痛めた彼は、そうした命を救いたいという思いで医学の道に進み、病気になってから治療をするのではなく、そもそも病気にならないようにすることを目指す「予防医学」に軸足を置いて研究に励みました。その中で、腸の中の悪い菌を抑える乳酸菌を発見し、のちに「乳酸菌シロタ株」と名付けます。また、強化培養することにも世界で初めて成功します。そして、1935年に、乳酸菌が腸内で果たす重要な働きを活かした乳製品乳酸菌飲料「ヤクルト」を発売するに至ったことが、私たちの原点です。彼は一人でも多くの人に手軽に毎日飲んでもらえるような価格設定をしていました。「誰もが手に入れられる値段で健康を提供したい」という強い思いがあったからこそ、現在のヤクルトが存続しています。
「ヤクルト」という社名の由来は、エスペラント語でヨーグルトを意味する「ヤフルト(Jahurto)」から来ています。エスペラント語は、今から130年以上前に世界共通語となるように作られた言葉で、当時は、日本人のみならず世界中の人々に飲んでほしいという考えのもと、グローバルな名前が付けられました。
現在、当社の海外事業は乳酸菌飲料が中心ですが、日本国内においては、乳酸菌飲料をはじめ、野菜ジュース、豆乳、麺類などの食品事業、素肌の健康を守る化粧品事業、そしてがん医療にも貢献する医療品事業などを通して、様々な側面から健康な生活を送るための製品を展開しています。
――ドイツに進出したのはいつ頃ですか?
平野達也:1996年、NRW州にあるケルン、デュッセルドルフ近郊のNeuss(ノイス)という街にドイツ社(現地法人)が設立されました。当社は、生きた乳酸菌を体内に入れて腸内環境を整えるということの健康へのメリットを、多くの人に知ってもらう必要があります。ヤクルトについて徹底的に説明するためにも、創業期から現在まで、対面でのコミュニケーションを大切にしてきました。その影響もあり、初期の営業活動はNRW州に専ら焦点を当てて、のちに少しずつ範囲を拡大していきました。また、最初はほとんど実施してこなかった、テレビCMやラジオなどを活用した宣伝も、ヤクルトがドイツ全域のスーパーマーケットに行き渡るようになってからは、徐々に注力するようになりました。現在、ドイツにおけるヤクルトの知名度は80〜90%と高いですが、多くの方々がまだ具体的な特徴や他社の商品との違いまではわからない、というのが現実です。競合会社であるダノン (DANONE)社の「アクティメル(Actimel)」と混同されてしまうこともあるので、これからはヤクルトの個性をさらに打ち出していく必要があります。
今やNRW州におけるヤクルトの売り上げは、他の州の人口比よりも多くなっています。NRW州にはドイツ全体の人口の約20%が暮らしていますが、ドイツにおけるヤクルトの売上のうちNRW州は25%にあたります。それは、25年前に私たちと接点を持った方々が、次の世代にも伝承してくださっているからだと思っています。欧州企業と比べて、日本企業は一歩一歩着実に進めていくことが一般的なビジネスのやり方です。小さなプロジェクトで成功事例を提示しながら予算を獲得していく必要があります。そういった意味では、私たちもトライ&エラーを繰り返し、ドイツ市場を開拓していきました。ヤクルトは、仮に数年間赤字だったとしても、撤退することはまずありません。一度進出したら成功するまで頑張ろうというのが、私たちのスタンスです。
ヤクルトの考え方は、プロモーションのときに買うのではなく、毎日継続して飲んでいただけるようにすることなので、基本的にドイツのハードディスカウンター(超安売りの小売業)と呼ばれるAldiやLidlなどには置いていませんが、EdekaやReal、Rewe、Kauflandなどのスーパーマーケットのシェア(配荷率)は90%を超えています。最近は、ミュンヘンやベルリンにおける売上も上がってきています。特に、非常に国際的な都市であるベルリンにはオープンマインドな方が多い印象です。また、他国でヤクルトを飲んでくださっていた方がここに引越しをしてきた場合も継続して飲んでくださったり、周りの友人や家族に推薦してくださったりしているおかげで、市場も拡大してきています。
――ここに至るまでに、特に困難だったことを教えてください。
平野達也:欧州には、食品の栄養と健康強調表示に関する厳しい規制があります。欧州に進出して27年が経過しましたが、現在、ヤクルトを含め、我々のカテゴリー商品は、日本を含む、多くの国で認証があるにも関わらず、欧州食品安全機関(EFSA)によるヘルスクレームの認証を得られていません。基本的に、健康に関係する商品は、食品ではなく薬品であるという認識があり、私たちのヤクルトは食品ですが、薬品との間に立つような存在で、白黒はっきりさせる文化において、それを理解してもらうことはなかなか難しいことです。そのため、欧州においてはヤクルト商品が健康にもたらす効果などを十分に訴求できないというのが現状で、当社の85年以上の乳酸菌研究の成果をどう伝えていくのかは、今後の課題でもあると思います。
また、ドイツの消費者は、食品の品質に関する規制や認証に大きな価値を置いています。例えば、自然食品や有機栽培製品であることを証明する「Bio」の表記もますます重要になってきている条件であり、こういった製品の人気は他国に比べても大幅に伸びてきています。他にもドイツには、ビールの原料を「麦芽・ホップ・水・酵母のみ」に限定するというビール純粋令(Reinheitsgebot)など、歴史のある様々な分野において厳しいルールが存在します。私はドイツの文化を尊敬していますが、こうした各国の決まりの違いによる壁はどうしてもあると思います。
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――競合他社とはどのように差別化をしていますか?
平野達也:1994年に、欧州第一号の支店として、オランダにオフィスが開設されました。当時、欧州において、こういった乳酸菌飲料を販売するメーカーは珍しく、私たちはこの分野におけるパイオニア的存在でした。競合商品の進出により、マーケットは拡大しました。現在、ドイツにおける市場シェアは10%を下回り、競合に大きく水を開けれています。その中で、85年以上の歴史、ヤクルトの強み(生きて腸まで届く乳酸菌シロタ株、85年以上の歴史、日本生まれ、世界40カ国、日配4000万本以上等)を最大限に生かし、優位的差別化を明確にして価値訴求を行っています。毎日飲用の習慣化を後押しし、「ヤクルトを毎日の生活の一部へ」を目指し、推進しています。小さなヤクルトボトルに、大きなミッションがある。乳酸菌研究のパイオニアとして、これからも健康で楽しい生活づくりに貢献したいと思います。
――ドイツで展開している製品について教えてください。
平野達也:現在、ドイツでは合計三種類の商品を展開しています。まず一つ目は、一番有名な赤色の「ヤクルトオリジナル」です。この商品が全体の70%を占めており、世界、40か国で販売されています。二つ目が、緑色の「ヤクルトプラス」。カロリーをおさえ、糖分が控えめ、ビタミンCと食物繊維が配合されています。異なる味、ヨーロッパの方に好まれる味として、開発されました。三つ目は、青色の「ヤクルトライト」。控えめなカロリー、ビタミンDとビタミンE配合などの特徴があります。日本の幅広い製品群のうち、ドイツにもあれば嬉しいと思うのは「ヤクルト1000」ですね。生きて腸内まで到達する乳酸菌シロタ株が1本(100ml)に1000億個以上入っており、一時的な精神的ストレスがかかる状況でのストレスをやわらげ、また、睡眠の質(眠りの深さ、すっきりとした目覚め)を高める機能などがあります。
――ドイツに駐任してから最も注力していることは何ですか?
平野達也:私がドイツに来たのは2014年の5月なので、すでに7年間駐在していることになります。当社は、その土地土地の特徴を正しく理解し、地域に根ざしたビジネスができるよう「現地主義」を基本しており、一般的な日本企業に比べて長い駐在期間になることが多いです。
私は、社員たちがヤクルトで働いていることに対して自信と誇りを持ってもらうことが最も重要だと考えてきました。誇りと自信がなければ、消費者とうまくコミュニケーションをとることはできません。現在の社員数は、私を含めて15名です。この7年間は、決して簡単なことばかりではなく、困難な出来事もたくさんありました。私たちのチームは非常に小さいですが、マーケティング、営業、PR、サイエンス、アドミニストレーションなど様々な機能を持った社員が集まっており、議論が白熱することも珍しくありません。例えば、ヤクルトはエビデンスをとても大切にしており、本社のある日本には乳酸菌、ライフサイエンスを核とした研究などを行う大きな施設、ヤクルト本社 中央研究所があります。着実にエビデンスを積み重ね、日々学び続ける姿勢というのも、当社の一つの理念なのです。サイエンス、PR活動は目前の売上に直結しなくても、将来への投資となりますが、営業部門と意見が食い違うこともしばしばあります。
その中で、 私は、各々のwin-winな状況を目指して、水と油を混ぜる界面活性剤のような役割を果たしています。ドイツと日本にルーツを持ち、双方の文化を理解する当社の広報担当も、日本本社の経営理念を現地社員に向けて私をサポートし、わかりやすく説明してくれています。なぜドイツでヤクルトを届けるのか、健康や幸福のテーマをどのようにドイツ人に伝えていくのか、私たちが何をゴールにするのかなどを、一人一人が考える必要があります。個人的には、ヤクルトの素晴らしい哲学や創業者である代田先生の思いを全員が理解し、行動に移せる状態を目指しています。今では、非常に強いチームになりました。
日本本社、ヨーロッパ地域本部とも密接に仕事をしています。製品に関わる重要なことや新しい取り組みなどは、本部と相談しながら迅速に行動しなければならないわけですが、本部は現場の声に耳を傾けてくれています。例えば、デュッセルドルフとパリは、東京-大阪間と同様、約500km程度の距離がありますが、それぞれの文化は全く似ていません。そのため、欧州エリアは、様々なことを話し合うために、年に4回 各国のマネージングダイレクター(MD)が集う会議があり、さらには、2年に一度、世界規模のMD会議が日本で開催されています。
――ステークホルダーにはどのようにアプローチしていますか?
平野達也:ヤクルトの商品を理解し、信頼してもらえるようなコミュニケーションを心がけています。ドイツには、「Was der Bauer nicht kennt, frisst er nicht.(農民は自分が知らないものは食べない)」ということわざがあるそうですが、確かに、ドイツ人が見たことがないものをなかなか手に取ってくれないという印象は少なからずありました。特に、何か一つの商品を既に30年、40年と使われている年配の方などが、今さら新しいものを試してみるという気持ちにはなかなかなりません。私はドイツの文化がとても好きですが、この習慣にはやはり苦労しましたね。とはいえ、逆に一度ヤクルトのファンになってくれたドイツ人は、とても忠実で長く愛用してくれるという良い面ももちろんあります。
そのため、私たちが最初に挑戦したアプローチは大量の直接サンプリングです。当時は、私以外にも日本人社員が在籍していたのですが、お互い慣れないドイツ語で、通りすがる方々に「Probieren Sie Yakult!(日本語で、『ヤクルトをお試しください!』という意味)」などのように、積極的に声掛けをしました。こういった地道なコミュニケーションがとても重要です。消費者に直接呼びかけるコミュニケーションというのは、世界中で長年行ってきていることであり、ヤクルト全体の基本活動です。日本生まれであること、生命科学の追究、そして、独自のコミュニケーション方法、この3つの要素が私たちのユニークポイントであり、どうすればドイツ人に伝わるのかを模索しながら、日々奮励しています。欧州にも「An apple a day keeps the doctor away.(りんご一日一個で医者いらず)」という言い伝えがあるように、私たちの目指す予防医学、健腸長寿(腸を丈夫にすることが健康で長生きすることにつながる)もドイツ人の気持ちを惹きつけ必ず信頼を得ることができると信じています。
――独自のコミュニケーション方法といえば「ヤクルトレディ」という取り組みもありますよね
平野達也:そうです。ヤクルトレディというのは、ヤクルトの製品をお届けするスタッフのことを言います。当社のお客様の多くは一般家庭の主婦だったので、同じ立場の方が訪問することで親しみを持ってもらおうということで1963年にはじまった取り組みです。
ヤクルトグループの従業員数はグローバル全体で約41,000名ですが、それに加えて約80,000名のヤクルトレディが活躍しています。日本ではヤクルトレディが商品をお届けしながら、一人暮らしの高齢者の方の安否確認をしたり、お話相手になるという活動にも取り組んでいます。
残念ながらドイツには、ヤクルトレディはおらず「愛の訪問活動」は実施できていおりませが、この理念をドイツで行うべく、2020年2月から、デュッセルドルフで高齢者で貧困に苦しむ人々をケアする地域コミュニティ「ヘルスワーク」を支援し、ヤクルトの提供、健康的な朝食のサポートを行っています。
欧州のスーパーマーケットで販売されている商品は、オランダのアルメア工場で生産しています。一般的に、多くの企業は自社ビジネスを売上高で評価しますが、当社はボトル数を大切な基準としており、世界では1日あたり平均4,000万本のボトルが飲まれています
――最後に、ドイツにおけるヤクルトのビジョンを教えてください。
平野達也:やはり私には、一人でも多くの方にヤクルトを飲んでもらいたいという思いがあります。免疫細胞の7割が腸にあるので、ドイツの国民の皆さんには、腸を大切にすることが私たちの予防医学の話にも繋がるということを知ってもらいたいですね。その結果、ヤクルトが毎日の生活の一部になることが私たちの理想であり、切実な願いです。ドイツ人の中には買い物リストをつけるマメな方がたくさんいます。買い忘れしないようにメモに書いてもらえるような、健康生活に欠かせない商品になるということが、現在の私たちの目標です。