ビールは、ドイツ人が大好きな飲み物として真っ先に挙げられますが、日本でも根強い人気を誇ります。日本を代表する総合飲料メーカーのひとつであるキリンホールディングス株式会社(以下:キリン)は、何年も前にドイツに進出しました。実は、日本におけるビールの歴史自体、キリンの歴史と同じ長さなのです。今回は、キリンヨーロッパの社長を務める土屋義徳氏に、ドイツ市場のハードルおよびポテンシャル、ドイツビール純粋令のお話、そして、高い競争環境にあるドイツのスーパーマーケットの飲料コーナーにいかにして入っていくのか、その戦略について伺いました。
――「キリン」という名前は日本ファンの間でもよく知られていると思います。キリングループについてまだ認知されていないことといえば、どんなことが挙げられますか?
土屋義徳:弊社の祖業はビールビジネスですが、それに派生して、ワインやウイスキーから、ソフトドリンクや乳飲料まで、複数の清涼飲料ブランドを展開しています。日本市場が中核ではあるものの、世界中に進出しています。例えば、オーストラリアでは、ライオン社のもと、ビール市場の半分近いシェアを占めています。また、東南アジアも私たちの清涼飲料ビジネスにおける重要な市場です。例えば、ミャンマー屈指の醸造所を保有しており、現地のビール会社としてビールの製造・販売しています。他には、ボトラーとして、アメリカの東海岸を中心にコカ・コーラ製品などの清涼飲料の製造・販売をしていたり、メルシャンという日本最大のワインの会社を通して、日本のワインに加え欧州やチリ、カリフォルニアをはじめとする世界各地のワインを販売していたり、競合他社と比べても、事業ポートフォリオが多岐に渡ることがキリングループの大きな特徴です。
また、医薬事業やバイオケミカル事業も重要分野として力を入れています。協和発酵バイオをはじめとする医薬品原料や各種アミノ酸、健康食品などの開発・販売をおこなっています。発酵プロセスを応用した腎臓病の治療用の薬で事業参入した後、癌治療時に白血球が少なくなることを防ぐ薬などを開発しており、パーキンソン病や免疫アレルギーの薬も得意としています。
こういった事業は、特に海外において、現在非常に大きな柱となっています。実は、医薬事業全体の売り上げの半分は海外です。欧州のバイオケミカル事業と医薬事業は、ビール事業と比べて桁違いに大きく、重要事業になります。弊社は、一見単なるビールメーカーでも、実際には幅広く展開しています。フロントラインはBtoCビジネスですが、事業同士互いに支え合っていることから収益基盤が堅固で、コロナ禍のような危機的状況にも対応できています。
――現在は非常に多角的に展開されているのですね。創業からの歴史についても教えてください。
土屋義徳: キリンビールという会社は、1885年に、在留アメリカ人がジャパン・ブルワリーという会社を横浜の山手に起業したことからスタートしました。1907年には三菱合資社長の岩崎久彌氏や新一万円札の顔となる渋沢栄一氏らがジャパン・ブルワリーを買収し、キリングループの起源となる麒麟麦酒株式会社を創立しました。ここに、弊社のルーツがあります。
20世紀初頭、横浜は外国人居留地だったため、ドイツ人を含む多くの外国人がこの地域に住んでいました。当初から、ドイツ人醸造技師がドイツ産の原料を用いて、いわゆる「ジャーマンスタイル・ラガービール」を造っていました。創業以来、ドイツの酒造技術は弊社の重要なアイデンティティです。
――ドイツや欧州は御社のビールビジネスにとってどのような立ち位置ですか?
土屋義徳:欧州では現在約10名が働いています。ここデュッセルドルフに5名、その他に、フランスをはじめ欧州各地に社員が在籍しています。キリングループ全体のビールビジネスのうち、欧州の割合は1%にも満たないレベルで、そのうちのドイツの割合は10〜15%です。まだまだ市場シェアのわずかな割合しか占めていません。現在、最も重要な拠点は英国とフランスです。現地を良く理解している営業担当が日本食レストランや日系スーパーマーケットから、カルフールなど、ローカルなスーパーマーケットへ販売拠点の拡大に成功しています。次は、ドイツの番だと思っています。
長年の間、主に日本人駐在員が中心に営業活動をしてきましたが、今後、ローカルなスーパーマーケットにも進出していけるよう、今年1月より初となるドイツ人の営業担当を採用しました。どうしても私たち日本人にとって、ドイツ語はもちろんのこと、ドイツ特有のビール文化を構造的に理解することもハードルが高いからです。フランスのマーケット構造はドイツと比較するとシンプルです。パリが中心で、その周りに中小都市がいくつかあるだけだからです。しかし、ドイツの場合、バイエルン州とノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州では文化が大きく異なるので、国の隅々までアクセスするためには、ドイツを完全に理解している人に任せることが一番です。このように、地域に根ざした営業活動を今後強化していきます。
まずは、ローカルスーパーマーケット内にある「お寿司コーナー」のような日本食との連想が働く場所に置いてもらうことを目標としています。そこに足を運ぶお客さまは、すでに日本に興味を持っている場合も多いので、弊社の商品を選んでくれると考えています。ニッチなところから始めていきますが、次第にはスーパーマーケットの飲料棚、最終的にはガソリンスタンド、といった販路を通じて私たちの商品を届けることが理想です。そのための手順を現在踏んでいるところです。
――ドイツ支店が設立されたのはいつ頃ですか
土屋義徳:1983年、デュッセルドルフに最初の駐在事務所が開かれました。今まさに、インタビューがおこなわれている、この場所です。ドイツに拠点を構えた本来の目的は、ビールを販売することではなく、技術開発のために様々な情報収集を行うことでした。研究には、当然、ビール大国のドイツが最適でした。
それから10年後の1993年に、欧州でビールの販売を本格的に開始しました。ドイツは土地ごとに有名なビールの銘柄があるので、ドイツでビジネスをすることは非常に難しかったです。また、日本から輸入販売する形をとっていたため高額でした。こういう理由で、しばらく販売は英国、フランスが中心でした。
――ドイツの地元の醸造所との関係性について教えてください。競合でありながらも、協力しあうことはありますか?
土屋義徳:弊社は、ドイツの醸造現場と常に密接な関係にありました。元々、ドイツ風ビールを醸造していたため、ミュンヘン近郊のハラタウ産ホップやモルトなどドイツの原材料を数多く輸入していました。また、弊社の醸造技師らは、毎年ミュンヘン工科大学(TUM)やベルリン工科大学(TUB)に留学し、脈々と何十年に渡って、強力なネットワークを構築してきました。
このような経験が実り、10年以上前にドイツの醸造所とパートナーシップを結ぶことができました。2010年より、世界最古の醸造所「ヴァイエンシュテファン醸造所(Bayerische Staatsbrauerei Weihenstephan)」で、欧州市場向けのキリンビールを共同醸造しています。フライジングという、ミュンヘン近郊の地域に位置する醸造所です。ライセンス契約を結んでいるので、受け渡したレシピを元にビールを造っていただいており、定期的に、技術指導員と呼ばれる弊社のマネージャーがヴァイエンシュテファン醸造所に出張に行き、指導や品質管理をしています。TUMに留学している社員もまた、うまく連携しています。同時に、ヴァイエンシュテファン醸造所からもたくさん学ぶことがあるので、非常に良い関係が築けています。
弊社は、ライセンス契約を結び、自社のビールをドイツのバイエルン州立醸造所に製造してもらうことに成功した、唯一の外資系のビール会社です。このことは、私たちもとても誇りに感じています。ドイツには「ビール純粋令(Reinheitsgebot)」と呼ばれるビールの原料に関する法律があり、醸造してもらうための条件が非常に厳しいことで有名です。グローバルに展開している会社でも、買収のような方法を取らずに、信頼関係でドイツの地元の醸造所の承諾を得ることは、なかなかハードルが高いことだと思います。
これからは、バイエルン(ドイツ)で 製造しているということも、うまくアピールできたらと思っています。ビールの本場が認めたビールという証でもあり、ブランドイメージの向上にも寄与すると思っています。
――「メード・イン・ジャーマニー」と「メード・イン・ジャパン」のキリンビールに、味の違いなどはありますか?
土屋義徳:味については、もちろん合わせようとしているものの、ビールがナチュラルドリンクである以上、微妙な違いは生じることがあります。当地の原材料はバイエルン州のものを中心に使用していますが、原材料を世界中のエリアから調達してている日本と同様の規格のものを使用しています。また、酵母も日本からフライジングまで持ってきています。
それでも、機械の大きさなど、製造設備において少しずつ異なる部分は存在します。これは人間のように、住んでいるお家が違えば育ち方が変わることと同じで、どんなに合わせようとしても、全てをコントロールすることはできません。ビールは生き物なのです。ビールは作るものではなく、醸すものです。皆さまももしかしたらその土地の味を感じられるかもしれませんが、 それはきっとその土地、気候にあった味ということだと思います。
日本では、残念ながらヴァイエンシュテファンと共同醸造している一番搾りは販売していません。しかし、2011年に、ヴァイエンシュテファン製の一番搾りをプレゼントするキャンペーンを実施したときは非常に人気がありました。最近では、日本人が帰国される際に、こちらの一番搾りをお土産として買って帰るという話もしばしば耳にします。
――コロナ禍の影響で、日本への渡航は難しくなり、御社の最重要な販路である日本食レストランも長い間閉鎖を余儀なくされています。現在の困難な状況とどのように向き合っていますか?
土屋義徳:それはもう多大な影響を受けました。弊社の売り上げは、通常、ほとんどがレストランを通した売り上げです。ロックダウンの規制により、お客さまが営業停止を余儀なくされ、2020年5月は、樽のビールの出荷数がゼロになりました。ローカルなスーパーマーケットでも販売していかないと事業の継続性が保てないということが、今回、ドイツ人の営業担当を採用しようと決心した理由でした。私たちにとって、未だかつてない異常事態です。
一方で、もうひとつ柱のビジネスがあります。弊社は「バーボン」というアメリカのウイスキー会社のオーナーとして、いわゆる代理店の役割を担っており、「フォアローゼズ」を欧州で販売しています。現在の状況下で、「フォアローゼズ」の売り上げはビール事業を大きく上回っています。言い換えると、ビールの売り上げは確かに急激に落ち込んでしまいましたが、別の事業が支えてくれています。
――ドイツ市場における今後の事業計画について教えてください。
土屋義徳:創立当初より、弊社はドイツとは切っても切れない関係にあります。だからこそ、ドイツで事業を成功させることが、皆さまへの恩返しだと思っているので、現状に満足することなく、もっともっと好きになってもらえるよう、頑張っていきます。
昨年は、あまりにも厳しい年で、日本文化を紹介する「ヤーパン・ターク(日本デー)」も開催されなかったので、弊社が中心となり「ヤーパン・ヴォッヘ(日本ウィーク)」というイベントを企画させていただきました。2020年10月8日から11日まで、日本に関連したお店が同じタイミングで販促活動を行うことができるイベントです。街の活気を少し取り戻せることができ、デュッセルドルフ市にも本当に喜んでいただけたので、これからもいろんな形でドイツに恩返しができればいいなと思っています。小さな支店ではありますが、日本食レストランはある意味デュッセルドルフの名物でもあるので、こういった活動を今後も続けていけると嬉しいですね。
どれくらいの時間がかかるかはわかりませんが、ドイツもフランスやイギリスと同じレベルまでいけるはずだと信じています。これまで、ドイツのお客さまは非常にコンサバティブでした。デュッセルドルフ出身者は「アルトビール」、ケルン出身者は「ケルシュ」といった感じで、なかなか私たちのブランドを手に取ってくれなかったのですが、環境も変化してきており、ドイツ人もいろんなビールを楽しむようになってきています。
そうすると、ドイツ人はフランス人よりも一人当たり飲む量が断然多いので、その市場に入っていけると、チャンスは確実にあります。ひとつのアプローチとして、「日本料理を食べるときは、キリンビールを飲む」という風潮を習慣化していければと思います。コロナ禍では、日本食レストランのテイクアウトサービスを活用して缶ビールの4本セットを販売しています。比較的に、ドイツ人はこのようなフォーマットを素直に受け入れてくれる印象があります。また、我々のビールは、すでに、デュッセルドルフにある全ての日本食レストランで購入することができます。ドイツで日本料理店を始めるとき、誰もがまずデュッセルドルフに視察に来るので、その際に、この組み合わせをひとつの形として認識していただけるはずだと思います。
また、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、多くの人々の在宅時間も増加したため、和食料理を自宅で楽しむドイツ人家庭も増えてきています。そういうときにも、「あ、だったらキリンビールも一緒に飲もうかな」という風に思い出してもらえると嬉しいですね。
やはり、ドイツ人はビールをよく飲む人たちなので、一見難しく感じる市場も、基本に返ってみれば、そこまで難しいはずがないですよね。単純に、一人当たり飲む量も断トツ多いわけなので、知恵の出し方次第でいろんな可能性が見えてくると思います。そして、ドイツ人に認められるという事実は、最終的に日本の市場にも非常に良い影響を与えます。ドイツを訪れる日本人が、キリンビールを飲んでいるドイツ人を見かけることほど、品質の高さの証明は他にないと思いますね。