世界中のバレエダンサーたちから絶大な支持を集めるダンスウェアブランド「YUMIKO」。その創設者である竹島由美子氏は、現在ドイツのベルリンを拠点に、東京やニューヨークにも店舗を展開しています。彼女はプロダンサーとしての経験に加え、実家が呉服屋という環境で培った豊かな色彩感覚を活かし、機能性とデザイン性を兼ね備えたオーダーメイドのレオタードを生み出しました。創業当初、自宅の作業場で夜な夜な縫い物に励んでいたエピソードから、ブランドを象徴する「Yumi Girl」というアンバサダー制度の役割まで、どのようにしてダンサーたちの心を掴み、ブランドとしての地位を確立したのか、竹島氏にその秘話を伺いました。
―― まずは自己紹介をお願いします。
竹島由美子:私は幼少期からダンスに親しんできました。3歳からバレエを始め、13歳の時にサンフランシスコのバレエスクールへ留学したのをきっかけに若くしてバレエ―ダンサーとしてのキャリアをスタートしました。韓国、カナダ・カルガリー、フランス・パリ、ニューヨークのモダンダンスカンパニー、オランダ国立バレエ団など、世界中で踊る機会を得ました。
オランダで出会った仲間たちがきっかけで2006年にドイツへ移住しました。ドレスデンのバレエ団で約8年半所属しましたが、27年間のプロダンサーとしての活動に一区切りをつけることにしました。息子が生まれたこともあり、育児と踊りの両立が難しくなったことも大きな理由です。

引退を決意した2013年には、ベルリンにダンスウェアのブランド「YUMIKO」の店舗を開く計画を進めていました。以前から憧れていたベルリンは多様な文化と国際的な環境が整い、家族にとって理想的な場所だと感じ、移住を決意します。こうして、ベルリンでの新しい生活とビジネスの展開が始まりました。

―― バレエブランド「YUMIKO」の立ち上げは引退前にされたということですね。
竹島由美子:「YUMIKO」ブランド自体の始まりは20年以上前に遡ります。正式に会社を設立したのは2002年ですが、その原点はオランダ・アムステルダムでオランダ国立バレエ団に所属していた頃にあります。当初は自宅がオフィスでした。
1993年にニューヨークからオランダへ引っ越し、国立バレエ団での活動を開始しました。当時、オランダの住環境は、日本とは大きく異なり、台所も電球もない状態から生活を始める必要がありました。予算の限られた中で節約を心掛け、友人から借りたミシンでベッドカバーやクッションを自作していました。
そんな中、近所の布地屋でレオタードの生地を見つけたのが転機となりました。試しに作ったレオタードをバレエ団に着て行くと、同僚たちから絶賛され「私にも作ってほしい」と頼まれるようになりました。それがブランドの始まりです。
当時、レオタード屋さんは他にもありましたが、友人に作ってもらう特別感が好評で、口コミを通じて注文が広がり、海外のバレエ団からも問い合わせが入るようになりました。しかし、バレエ団での一日の仕事を終えた後、夜中まで縫い物をする生活が10年ほど続きました。布地で埋め尽くされた家の中では、夫や愛犬が布の上を歩く始末で、夫から「もう限界だ」と言われたほどです。彼の提案でアシスタントを雇い、私が仕事の間、家で制作を手伝ってもらうようになりました。当時、私は一日に4着ほどを縫い、アシスタントは7着ほどのレオタードを仕上げていました。
―― その後、事業はどのように拡大しましたか?
竹島由美子:夫の家族がスペインに拠点を持っていたこともあり、生産拠点をスペイン南部に移しました。最初に4人のスタッフを雇って生産を開始し、その中の数名は現在も一緒に働いています。徐々にスタッフを増やし、現在では、パートタイムも含めて約50名の熟練したお針子を抱えています。こうして、2002年に「YUMIKO」というブランドが正式に誕生しました。
パートタイムスタッフも含めるとさらに多くのメンバーが携わっていますが、チーム非常にまとまりがあり、全員が情熱を持って取り組んでいます。このようなコンパクトかつ一体感あるチーム体制を私自身とても気に入っています。
―― 口コミを通じて注文が広がったとのことですが、当時はどのような販売チャネルで販促活動を行なっていましたか?
竹島由美子:まず、私がレオタードを趣味で縫い始めた頃に自然と生まれた「Yumi Girl」というユニークな仕組みがあります。当初は友人のために作ったものが、彼女のバレエ仲間に好評で広がり、さらに別のバレエ団にも伝わっていきました。正式に会社を設立した際、これらの友人たちを「Yumi Girl」と名付けました。彼女らは自らレオタードのモデルとなって宣伝し、バレエ団や学校で注文を取りまとめ、集金まで行う大使のような存在です。注文内容に基づいて製品を製作し、発送することで、世界中に当社製品が広がりました。
その後、注文が増え続けたため、アンバサダー制度を導入し、年間100着以上の注文を扱う人のみを対象としました。一方で、小規模なバレエ団やスタジオにも対応できるよう、最近では再び「Yumi Girl」制度を復活させました。アンバサダーが大規模注文を扱う一方で、Yumi Girlは顧客と密に連携して少量注文を受ける役割を担っています。このように、顧客ニーズに応じた柔軟な仕組みを作ることで、より多くの方々に対応しています。

また、オンラインオーダーは2006年にドレスデンへ移住する前からすでに対応していました。当社製品はリピーターが多く、バレエ団や学校内で誰かが着用していると、周りの方が試してみたいと考える流れが生まれています。口コミを通じて広がり、オンライン販売が主流となっています。口コミが一種の店舗のような役割を果たしているため、店舗がなくてもお客様に信頼されてきました。
―― 顧客との接点として、実店舗にはどのような特徴や強みがありますか?
竹島由美子:現在、ニューヨーク、ベルリン、東京に実店舗を構えています。ニューヨークに最初の店舗をオープンした後、ベルリン、そして2016年に東京に3店舗目をオープンしました。
実店舗は、私たちの主要なコミュニケーション拠点のため、戦略的なマーケティング活動に大きな影響を与えています。そのため、実店舗の特性を活かし、街の活気あるアートシーンとのコラボレーションを積極的に行っています。また、展開している都市の市場や文化に調和した戦略を採用するよう努めています。
例えば、ベルリンでは地元のダンサー、写真家、制作チームとコラボレーションを進めてきました。ドイツとの特別なつながりがあるわけではありませんが、ベルリンを2店舗目選んだのは意図的でした。ベルリンは常にユニークでクリエイティブな街であり、私たちのビジネスモデルにも非常に適していると感じています。
また、ベルリンの店舗はドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ全体から多くのお客様を引き寄せる役割を果たしています。ドイツはEUの中でも特に重要な市場のひとつであり、芸術文化への支援が厚いことも魅力的です。この拠点を足掛かりに、イギリスやフランスなど、さらに広範な展開を視野に入れています。

―― 三店舗の中で、特に成功している店舗はどちらでしょうか?
竹島由美子:ベルリンの店舗は、欧州全体からのお客様を迎え入れる重要な拠点となっています。特にドイツ国内のバレエ団からはグループでの大量注文をいただくことも多いです。一方で、売上の観点では、米国市場、特にニューヨーク店が圧倒的です。
ベルリンと東京の店舗もそれぞれの地域で安定した売上を誇っていますが、米国市場は大きく、多様な顧客層を抱えている他、特に『ブラック・スワン』の影響も大きかったです。ナタリー・ポートマンが着用した衣装を提供したことでブランドの認知度が急上昇しました。映画制作チームからも高く評価され、結果として売上が飛躍的に伸びたのです。
――『ブラック・スワン』の衣装を担当された当時の反響について、詳しく教えてください。
竹島由美子:まず、衣装デザインは卓越したデザイナー、エイミー・ウェストコット氏が手掛けたものです。私たちは直接映画製作に関わったわけではありませんが、ニューヨークのバレエ団を訪れた彼女がダンサーたちに「お気に入りのレオタード」を尋ねた際、YUMIKOが推薦されました。それをきっかけに当店に依頼が入り、映画用のレオタードを提供することとなりました。
上映後、スクリーンに映し出された製品を目にしたときの感激は今でも忘れられません。また、ナタリー・ポートマンが着用したことによる認知度向上は、ブランドの成長に大きな影響を与えました。

―― ドイツには多くの日本人ダンサーがバレエ留学をしていますが、ドイツのバレエ環境について教えてください。
竹島由美子:ドイツのバレエ団では、ドイツ出身のメンバーが少ないことに気づかされます。例えば、ドレスデンのバレエ団では、ドイツ人ダンサーは2、3人しかいませんでした。ドイツは非常に国際的で、多くの外国人ダンサーを受け入れる文化があります。ドイツのバレエ団は非常に高いレベルを持ち、オープンな姿勢でさまざまな振付家や作品に挑戦する傾向があります。他の国ではあまり試みられないような新しいプロジェクトにも積極的に取り組む点が非常に魅力的です。
さらに、ドイツでの仕事はダンサーとしても非常に安定しています。アメリカなどではダンサーの経済的な不安定さが問題ですが、ドイツでは社会保障制度が整っており、休暇中でも給料が支払われます。このような素晴らしい待遇は他国ではなかなか見られません。
ドイツのこうした安心感を私たちも経験し、それを当社の従業員にも反映させようと全力で取り組んでいます。ドイツで働けることは本当に幸運なことだと思います。ドイツは外国人ダンサーに対しても寛容で、ビザの取得が比較的容易です。これは他の国ではなかなか見られない特徴です。
私たちは、このドイツでの経験を活かし、それを当ビジネスにも反映するよう努力しました。このように従業員が安心して働ける環境を整えることは私たちにとっても非常に価値のあるものであり、これからも大切にしていきたいと考えています。


―― ダンサーなら誰もが憧れるYUMIKOのレオタードですが、成功の秘訣やこだわりについてお聞かせください。
竹島由美子:何といってもオーダーメイドの精神です。お客様一人一人が自分に似合うレオタードを求めてきて、そのアイデアを一緒に形にしていくことが非常に楽しいんです。最初のころは特に、私が試作してみて、注文をしてくれた友人にお見せすると、多くの場合「このまま欲しい」と気に入ってくれたのです。時には修正が必要な場合もありますが、最初から多くの方に受け入れていただけました。その精神を今でもとても大切にしており、いつまでも忘れたくありません。
実はレオタードの名前も、私の友人たちからとっているのです。例えば、最初に作ったレオタードのデザインは、友人の背中にある入れ墨をレオタードを着ている際にも見せたいという依頼から生まれました。そして、当時デザインされた背中が開いているレオタードを彼女の名前で呼ぶようになったんです。他にも、特定のデザインを好む友人の名前をレオタードに付けていました。こうした名前の由来が、ブランドの個性として根付いています。最近では、活躍しているアンバサダーの名前を取ることもあり、彼らもとても喜んでくれます。基本的には、友人や知人の名前を付けてきましたが、そうしたアプローチがブランドのユニークさを際立たせているのかもしれません。
―― グローバルブランドとしての成功の中で、日本的な要素はどのように反映されているのでしょうか?
竹島由美子:そうですね、特に色彩に日本の影響が強く表れていると思います。私自身、着物屋の家系で、代々着物やお洋服を扱ってきました。小さい頃から着物の色や質感に触れて育ったため、美しい色の組み合わせには特別な愛着があります。レオタードをデザインする際も、着物の帯や帯締めのように色の組み合わせを工夫しています。この色彩へのこだわりは、着物文化の影響が大きいと思います。
また、品質には非常に厳しい基準を持っています。最初から自分で縫っていたので、品質に関しては、ステッチやゴムの使い方など、一つ一つの細部にこだわっていました。規模が大きくなるにつれて品質管理は難しくなりますが、常に初心に戻って細部までチェックすることを徹底しています。
具体的には、生地の素材から縫製まで、全ての工程で品質チェックを欠かしません。生地を調達する際には、サプライヤーを徹底的に調査し、たとえコストが高くても持続不可能な方法で生産されたインクや染料を使用した生地を避けています。持続可能性も品質の一部と考えているためです。また、ワークショップで余った衣類や廃生地はリサイクルされるか、世界中のダンススクールに寄付されます。
このように細部まで品質にこだわっているのは、製品一つ一つを自分の家族のために作っているかのように取り組んでいるからです。私は常に従業員に対しても、同じ気持ちで取り組むように呼びかけ、最高の品質を提供することを目指しています。

―― 今も外注は全くされていないのでしょうか?
竹島由美子:はい、すべて自社で製造しています。世界中の小さな店舗やブティックから「なぜうちにレオタードを卸してくれないのか」と長年言われ続け、昨年からようやく小売店への販売を始めたのです。
より多くの人に知ってもらうために、小売店への販売も悪いことではないと考えるようになりました。昨年から小売店からの注文を受けて製造するようにしていますが、あまりに多くの注文が来るため、現在はウェイティングリストにして対応しています。
そのため、現在スタッフを増やし、品質を保ちながら製造能力を拡大しようとしています。規模が大きくなると品質管理が難しくなるため、2か月間の集中研修を行い、縫製や裁断などの技術を徹底的に教えています。研修を終えて、なお試験にクリアしたスタッフのみが製造に携われるようにしています。厳しい関門であることを重々承知しておりますが、それほど品質を保つことが私たちにとって重要なのです。
昨年の10月には、スペインに新しいワークショップをオープンしました。
―― 長い期間、どのようにして品質向上を研究されていたのでしょうか?
竹島由美子:初期の頃が最も厳しかったかもしれません。自分で縫っていた時期は、品質を追求するために、糸がほつれないようにしっかりと縫い、着心地も向上させるよう、日々努めていました。規模が大きくなるにつれて品質をキープする難易度も上がりましたが、それでも常に初心に戻り、最初の品質を維持することを心掛けていました。
初期の頃に雇った優秀なスタッフが現在では各部門のリーダーとなり、品質の維持に貢献しています。先日、スペインの工場を訪れた際に、製品のチェックが十分に行われていないと聞きました。
貧しい家庭が一生懸命お金を貯めてやっと購入した一枚に穴が空いていたらどう思うかと問いかけたところ、スタッフは責任の重さを痛感してくれました。品質を最初の基準に戻すことが最も大変ですが、常に心掛けています。

―― 最後に今後、YUMIKOブランドをどう発展させていきたいと考えていらっしゃいますか?
竹島由美子:当ブランドは現在、フィットネス市場に注目しています。ドイツではフィットネス市場が非常に大きく、そこへの進出を熱望しています。実際に、当ブランドはスポーツウェアやレギンスなども手がけていますが、現在のお客様は主にレオタードを求めてお買い物に来てくださいます。しかし、ドイツのランナーやフィットネス愛好者にも、もっと私たちの製品を知っていただきたいと考えています。
時々、店舗に試着に来られたお客様から「こんなに快適なタイツは初めて」とのお言葉をいただくことがあります。スポーツ用品市場は非常に競争が激しく、多くの人々は手軽に購入できる大手のスポーツチェーンの店舗を利用しています。それでも、品質の高い製品を求める方々に、当ブランドの製品の良さをもっと広めていきたいです。
将来的には、ドイツ市場だけでなく、世界中で特筆すべき存在感を確立し、ダンスウェア市場に大きなインパクトを与えることを目指しています。ロンドンやパリなどの主要な都市に店舗を展開し、ブランドの影響力をさらに高めていきたいと考えています。また、スポーツ市場への進出も視野に入れつつ、ブランドの成長と進化を続けていきたいです。
私たちは、20年以上の経験を持つブランドとして、卓越した品質へのこだわりを持ち続けています。これからも、ダンスウェアだけでなく、スポーツウェア市場にも力を入れ、多くの方々にYUMIKOの魅力を広めていきたいと思っています。
