J-BIGの発行人であり編集長であるビョルン・アイヒシュテットが、日本のビジネス界に関するあらゆることに深い関心を抱いていることは、J-BIGの愛読者ならご存知でしょう。しかし、彼の日本への憧れが、仕事上でもプライベートにまで入り込み、はるか昔にまでさかのぼることは、あまり知られていないかもしれません。今号では、一転して取材する側が取材される側となります。そんな特別号のゲストであるビョルン・アイヒシュテットをインタビューするのは、日本経済新聞社の林英樹ドイツ特派員です。この対話は、日本への憧れから始まり、彼がマネージングパートナーとして共同経営するコミュニケーションエージェンシー、ストーリーメーカーの日本事業、そしてJ-BIGの誕生についてまで幅広く語っています。 ―― … [もっと読む...] about ストーリーメーカー(Storymaker)「最初は信じられないほど世間知らずだった」
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JVCケンウッド「カーオーディオ市場にて2つのブランドを同時に確立するという挑戦」
80年代には、JVCのVHSシステムがなくてはならないものでした。そしてケンウッドなくしてはどんなステレオシステムも成り立たなかったと言っても過言ではないでしょう。かつては独立していたこの2つの日本ブランドは、現在では合弁会社JVCケンウッドとして、カーエレクトロニクス、ホームエレクトロニクス、世界のコンシューマーエレクトロニクス市場向けワイヤレスシステム、プロフェッショナル放送、CCTV、デジタルおよびアナログのラジオ機器やシステムを販売しています。J-BIGは、JVCとケンウッドが過去に直面した課題、数年前に合併が実現した経緯、そしてケンウッドがカーラジオ泥棒に打ち勝った方法について、ドイツ法人のトーステン・ゴドゥラ社長に話を聞きました。 ―― まずは成り立ちについて: … [もっと読む...] about JVCケンウッド「カーオーディオ市場にて2つのブランドを同時に確立するという挑戦」
Daiichi Sankyo(第一三共)「利益だけを追求する企業に成功はない」
第一三共は、がん・循環器領域のエキスパートとして、ドイツおよびヨーロッパで最も多い死因である脳卒中、心臓発作、がんに取り組んでいます。合併によって設立されたこの製薬会社は、革新的な医薬品と治療アプローチを開発しています。J-BIGは、腫瘍学部門ドイツ責任者のマルティナ・ヴィッツェル博士と第一三共ドイツ支社長のブノワ・クレヴォー氏に、グローバルな日系製薬企業の挑戦、将来のビジョン、そして第一三共のドイツでのルーツについてお話を伺いました。 ―― お二人の第一三共との出会いについて教えてください。 マルティナ・ヴィッツェル博士:私は2020年9月から第一三共のドイツ支社と欧州本社のあるミュンヘンで勤務しています。入社当初は欧州の組織で、腫瘍学部門の肺がんと胃がんの分野を担当していました。肺がん・胃がん担当エグゼクティブ・ディレクターと … [もっと読む...] about Daiichi Sankyo(第一三共)「利益だけを追求する企業に成功はない」
Epson(エプソン)「持続可能性への意識はエプソンのDNAに根付いています」
1970年代からドイツでも事業を展開しているセイコーエプソン株式会社(以下:エプソン)は、プリンターとプロジェクターの分野で知られている日本発のブランドであり、かつて時計ブランドのセイコーから誕生しました。J-BIGは、2023年末までエプソン・ドイツGmbHのマネージングディレクターを務めるヘニング・オールソン氏に、同社での20年の経験と、エプソンが印刷ソリューションのスペシャリストとしてどのように発展してきたか、現在展開中の製品分野、そして環境に対するエプソンの強いコミットメントの原点についてお話を伺いました。 ―― … [もっと読む...] about Epson(エプソン)「持続可能性への意識はエプソンのDNAに根付いています」
80年代のSONY(ソニー)「ソニーは常に創造性とテクノロジーを追求してきた」
ペーター・ホーニッシュ氏は、1970年代から80年代にかけて、西ドイツで多くの革新的なソニー製品を普及させました。この時期、彼はソニー株式会社(以下:ソニー)のドイツ法人のコミュニケーションを担当する経営陣の一員として、ウォークマンをはじめとするソニーの象徴的な製品を市場に送り出してきました。J-BIGはホーニッシュ氏に、日本企業と彼の繋がり、ソニー在籍中に経験した挑戦と成功、そして日本本社との仕事の仕方についてお話を伺いました。 ―― 1970年代、ソニーとの出会いについて教えてください。 ペーター・ホーニッシュ:経済学を学んだ後、私は偶然にもコミュニケーション業界に身を置くことになりました。フランクフルトのエージェンシーでひどい目に遭った後、ボンでPR会社を立ち上げました。1975年、ケルンのドイツソニーの宣伝部長から突然電話 … [もっと読む...] about 80年代のSONY(ソニー)「ソニーは常に創造性とテクノロジーを追求してきた」