2028年までにスバル車乗車中の死亡事故ゼロへ。このビジョンを、日本の自動車産業の一翼を担う株式会社SUBARU(以下:スバル)は描いています。全輪駆動技術の先駆者であり、世界市場を牽引する同社は、ドイツの自動車専門誌『Auto BILD』が例年実施している主要購買決定調査「The Best Brands in All Classes」において、価格・性能・安全性を評価する賞に加え、編集部特別賞である「Innovation of the Year 2022」賞を受賞しています。今回のJ-BIGインタビューでは、この日本企業の秘密に迫るべく、 Subaru Deutschland GmbHのマネージングディレクターを務めるフォルカー・ダナート氏に、技術の特長や、自動車製造とは全く無縁だった創業時の歴史についてお話を伺いました。
—-ズバリ、御社の魅力は何でしょうか。
フォルカー・ダナート氏:当社は、高品質の4輪駆動車(4WD)を生産する自動車メーカーです。昨年、スバルの生産台数は2,000万台を突破し、4輪駆動車の世界ランキングにおいて首位となりました。そのことを、私たちはとても誇りに思っています。安全な運転、快適な旅、そして信頼性。この3つの要素を、非常に大切にしています。
—-創業時の歴史について教えてください。
フォルカー・ダナート氏:当社の歴史は、1917年まで遡ることができます。当時はまだ「スバル」という名前ではありませんでした。実は、群馬県太田市に飛行機を製造するための研究所が開設されたことが原点です。東京から北へ約100kmの内陸部に位置する町で、現在もここに自動車の生産拠点を構えています。スバルブランドの3つの工場が集い、並はずれた規模の大きい直営店、そしてデザインセンターなどがあることから、太田市を私は「スバルシティ」と呼んでいます。また、当社の歴史を印象的に伝える企業博物館もあり、私自身、何度か訪れる機会がありました。本社は、東京の恵比寿にありますが、太田市に行くとスバルが関係していることが一目でわかるのです。
—-飛行機研究所はどのように発展していったのですか?
フォルカー・ダナート氏:小さな研究所からスタートし、大きくが発展していきました。当初は、日本の空軍にエンジンや戦闘機を供給していた中島飛行機株式会社という会社だったのです。そして、第二次世界大戦終盤には、兵器としての航空機が約2万6000機製造されたと記録されています。戦争が終わると、航空機の生産が禁止され、1950年、会社は、アメリカ軍政の指示で12社に分割されました。その3年後、その中の富士自動車工業をはじめとする5社が共同出資し、1953年7月15日に「富士重工業株式会社」が設立されました。こうして、現在のロゴが誕生したのです。
—-ロゴマークにはどのような意味が込められているのですか?
フォルカー・ダナート氏:私たちのクルマに描かれているロゴは、親会社を象徴するもので、プレアデス星団とも呼ばれる星座「すばる」をイメージしています。この星座は、地球から肉眼で見ることができ、ドイツからは7つの星が見えますが、日本からは6つ星が見えるのです。したがって、ロゴの星は7つではなく、6つだけです。左の大きな星は富士重工業、5つの小さな星はスバルを含む子会社を表しています。
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—-富士重工業設立後の歩みについても教えてください。
フォルカー・ダナート氏:自動車の開発がスタートすると、1955年に、最高出力55psのスバル1500が作られましたが、当時はまだ生産設備が不十分だったため、試作車20台限りで終了してしまいました。そして、1958年に、市販用に生産された「スバル360」は、社内では、その見た目から「Knutschkugel(マイクロカー)」という愛称で呼んでいます。最高出力16ps、空冷2気筒2サイクルエンジン搭載のモデルでした。名前の由来は、エンジンの排気量に由来しています。いわゆる「軽自動車」の一つであり、初めての試みでした。また、1966年に登場した「スバル1000」は、当社が初めて上市した水平対向(ボクサー)エンジンを搭載したモデルで、私たちにとって重要な主力車種です。当時としては珍しい、前輪駆動との組み合わせを実現させました。この車は、最高出力55ps、車両重量670kgで、実用最高速130km/hというかなり優秀な車でした。ちょうどそれくらいの時期に、エンジンや駆動の独自の技術がスバルのUSPとなれば、市場で際立つ存在になれると実感するようになります。そして1972年、日本市場初の4輪駆動車「スバル・レオーネ」を発売しました。その後、燃料タンクの容量や馬力の改善やスポーティなモデルの開発が続々続きました。全輪駆動をコンセプトとしたレオーネこそ、スバルブランドを体現しています。レオーネの成功体験のおかげで、会社として水平対向エンジンや全輪駆動の開発にさらに注力することに踏み切りました。
—-なぜ、そこまで水平対向エンジンにこだわるのでしょうか。
フォルカー・ダナート氏:まず、従来のエンジンと比較すると、水平対向エンジンのメリットはフラットであることから、安全性に大きく寄与します。なぜなら仮にひどい正面衝突をした場合、従来のエンジンであれば、エンジンが車内に押し込まれてしまう可能性が非常に高いからです。水平対向エンジンであれば、全高が低いのでフロア下に潜り込みやすいため、乗員へのダメージを軽減します。また、車が低重心になる利点は、高速でコーナーに進入する際に平らになり、大きな物理的な力を受けないため、てこ比が小さくなることです。もちろん、全輪駆動は片方の車軸だけを駆動するのではなく、両方の車軸がエンジンと繋がっているため、操縦性と安定性が保たれます。まるで、車がレールの上を走っているような感覚を味わえるのです。これらの要素はすべて、当社が高い評価を得ている「安全性」に繋がっています。2028年までにスバル車乗車中の死亡事故をなくしたい。これは、私たちが本気で目指していることです。
—-1970年代までは日本市場がメインでしたね。海外展開はいつ頃スタートしましたか?
フォルカー・ダナート氏:ちょうどその時期です。当時、ピックアップトラック「BAJA」で米国市場に参入しました。私たちにとって、米国市場は非常に重要な市場です。インディアナ州のラファイエットに生産拠点を構え、米国と中国市場向け専用に生産しているほどです。一方、欧州向けの製品に関しては、すべて日本から直接輸入しているものを販売しています。その他にも、時代を先取りした車も数多く開発しました。その一例が、1990年代に発表された、電動で窓を開閉できる「SVX」シリーズ。イエローデザインもあるスポーティな車で、オートエアコンと最高出力230psを搭載したモデルで、センセーションを巻き起こす特別な車でした。そして、スバルを形作った車でもあるのです。それに、当社の「フォレスター」は40周年を迎えた今も色褪せない人気を誇り、すでに今年の分はほぼ完売しています。フォレスターには、自動車工学の分野で一般的なレーダーやソナー技術ではなく、ステレオカメラシステムで動作する運転支援システム「アイサイト」など、当社の機能がすべて搭載されており、賞も獲得しています。また、他にもジェスチャーによるエアコン操作やカラー画像による認識など高い性能を誇ります。
—-ドイツ市場に参入した時期について教えてください。
フォルカー・ダナート氏:1980年10月10日、バート・ヘルスフェルトで、シンプルな自動車販売店からスタートしました。今でこそドイツの中心に位置していますが、当時はまだドイツ民主共和国だったので、まさに国境沿いの地域だったのです。まずは自力でドイツに足を踏み入れましたが、その後、スイスのエミール・フレイ・グループが輸入元となりました。1984年に、ヴェッテラウ郡の美しい町フリードバーグに拠点を移しました。ちなみに、この町は、ミュージシャンのエルヴィス・プレスリーが米軍時代に駐屯していた場所でもあります。私たちの敷地面積は約55,000平方メートルで、大規模なスペアパーツ倉庫も併設しています。新車の倉庫はなく、その代わり、ロッテルダムにある輸入者用倉庫を運営しています。ロッテルダムには欧州最大の港があり、そこに日本から直接車が運び込まれます。そこには巨大な駐車場があり、車を見事に美しく収納することができるのです。これは、車を直接列車やローリーに積んで、エンドユーザーに届けない場合に有効です。
—-Subaru Deutschland GmbHの規模は、現在どのくらいですか?
フォルカー・ダナート氏:ドイツにおいては、約400社のパートナーからなるディーラーネットワークがあり、技術面と商業面の両方のサポートが非常に充実しています。フリードベルクに所在する本社では、ディーラーが注文した新車やスペアパーツ、アクセサリー等をタイムリーに届けるために、約80名の従業員が働いています。スバルチーム全体が、品質、秩序、時間厳守を重視し、重要なお客様であるディーラーの皆様に満足していただけるような仕事を目指しています。私たちにとって、ディーラーネットワークは非常に重要な資産です。
—-その中で、どのような役割を果たしていますか?
フォルカー・ダナート氏:私はスバルドイツのマネージングディレクターであり、ブランドの最高責任者です。
—-日本本社とはどう連携されていますか?
フォルカー・ダナート氏:コロナ禍以前は、年に4〜6回日本へ出張していました。また、メールやビデオ会議、電話などによる意見交換は日常的に行われ、主にドイツ市場で起きていることをフィードバックしたり、物事を調整したりしています。私たちは日本にいる社員と一緒に、長期にわたり緊密で心地良い協力関係を築いてきました。
「私たちの品質管理基準は非常に高く、品質に対する考え方を従業員一人ひとりが体現し、日々、販売店やエンドユーザー、ジャーナリストなどとの会話の中でも伝えています。品質保証と、その結果として得られるブランドへの満足度は、私たちにとって非常に重要なものです。」
—-ドイツでの活動において、御社が日本的だと感じることはありますか?
フォルカー・ダナート氏:品質に対する価値観です。私たちの品質管理基準は非常に高く、品質に対する考え方を従業員一人ひとりが体現し、日々、販売店やエンドユーザー、ジャーナリストなどとの会話の中でも伝えています。品質保証と、その結果として得られるブランドへの満足度は、私たちにとって非常に重要なものです。私たちは、お客様に満足してもらうだけでなく、喜んでもらうことを目指しています。これは大きな違いです。私たちにとって最も重要なことの一つです。なぜなら喜んでくれたお客様はまた戻ってきてくれるからです。そのためなら、何でもします。例えば、お客様から電話があると、外部のコールセンターなどではなく直接私たちにかかってくるようにしています。どんなことであっても即座にお客様のお役に立てることを目指しているからです。会社に対して、社員は忠誠心をもってくれているようにも感じます。彼ら彼女らは、単に働きに来るのではなく、スバルブランドを生きているのです。このような社風が、新入社員や若手社員などの間に比較的早くから浸透しているのを見ると、嬉しくなりますね。私たちは、上下関係がフラットな、大きなスバルファミリーなのです。この拠点では、従業員の育成にも力を入れています。新入社員だけに限った話ではありません。そのためにあらゆる面での投資を行なっています。努力をしないことは、立ち止まっていることに等しいからです。それは、絶対に避けたいと思っています。
—-EVの普及による影響や今後の展望について教えてください。
フォルカー・ダナート氏:ドイツにある自動車の数は約4,800万台です。新車があまり多くない点では飽和状態ですが、その一方で、ドイツが成長市場であることも事実です。私たちは今、新しいテクノロジーによる大きな変革の真っ只中にいます。当社の電気自動車「ソルテラ」は、マイルドハイブリッドを搭載した車3種類のラインナップをご用意しています。ソルテラとそれに続くすべての車で、新たなお客様を惹きつけ、ここドイツ、そして欧州全体で成長し続けることができると確信しています。それに加えて、私たちは環境保全への取り組みもますます強化しています。2030年までに、世界販売台数の40%以上を電動車にすることを発表しました。また、2050年までにCO2排出量を2010年比で90%削減する予定です。いつかはゼロエミッションの車のみを提供することになるでしょう。そのための開発は、日本の生産拠点において数多く行われています。