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東芝「私たちは常に技術が社会を変えるその最前線にいました」

5月 27, 2026 by Bjoern Eichstaedt and Emily Bischof

東芝は2025年に創業150周年を迎えました。これを機に波乱万丈で、技術業界に革新をもたらした歴史を振り返ります。すべては1875年、東京にある一つの電信機工場から始まりました。この工場は創業から数年で近代的な電気機械や技術の開発・製造を専門とする革新的な企業へと成長しました。1939年には消費者向け電子機器に強みを持つ別の企業と合併し、東京芝浦電気(東芝)が誕生しました。同社は今では約9万5,000人の従業員を擁する世界有数のグループ企業となっています。今回、J-BIGは東芝エレクトロニクス・ヨーロッパ社(TEE)の社長兼CEOであるペーター・リーバーヴィルト氏、マーケティング&オペレーション担当バイスプレジデントのアーミン・デルプマンス氏、バッテリー事業部担当バイスプレジデントのフォルカー・シューマン氏から、東芝が家電メーカーからBtoB技術専門企業へと変革してきた歩み、欧州市場の重要性、そしてパワー半導体、データストレージ、高性能バッテリーの展望について話を聞きました。

―― 東芝は昨年で創業150周年を迎えました。この長い歴史はどのように始まったのでしょうか。

ペーター・リーバーヴィルト: 150年というのは本当に長い年月です。1875年当時は、電球も電話も自動車もありませんでした。当社の歴史は、この間に世界を形作ってきた劇的な変化を映し出しており、私たちはその多くの技術革新に関わってきたことを誇りに思っています。

当社の歴史には二つの流れがあります。一つ目は、1875年に東京で日本初の電信機工場を設立した田中久重にさかのぼります。田中は卓越した発明家で、のちに「日本のエジソン」として知られるようになりました。彼の信条である「万般の機械考案の依頼に応ず」は、その並外れた自信と革新への意欲をよく表しています。彼の会社は後に芝浦製作所と改称され、日本有数の重電機器メーカーへと成長しました。

二つ目の流れは、1890年に白熱舎を創業した藤岡市助から始まります。彼は、電灯をすべての人が利用できるものにしたいという強い信念に情熱を注いでいました。藤岡は日本で初めて電球を製造し、彼の会社は1899年に東京電気となりました。この二つの流れ、すなわち一方の重工業技術と、もう一方の消費者志向の電子技術革新は、今日に至るまで東芝のDNAとして受け継がれています。

インタビューに応じるペーター・リーバーヴィルト氏(中央)、アーミン・デルプマンス氏(左)、フォルカー・シューマン氏(右) // Photo series: Maximilian von Lachner
―― この2社はいつ、またなぜ合併したのでしょうか。そして「東芝」という社名はどのように生まれたのですか。

ペーター・リーバーヴィルト: 合併は1939年に行われました。両社は三井財閥の一員として密接につながっており、互いに株式を持ち合い、すでにさまざまな分野で協力し合っていました。技術の進歩に伴い、重電技術の成果をお茶の間にもたらす家電製品への需要が高まっていました。そのため、両社が合併して東京芝浦電気株式会社となったのは、論理的かつ戦略的な流れだったのです。

現在の社名は、この旧社名に由来しています。つまり、「東京」の「東」と「芝浦」の「芝」を組み合わせて「東芝」となりました。この呼び名はすでに1940年代には商標として広く使われていましたが、正式に社名が「株式会社東芝」となったのは1978年のことでした。

―― 東芝は歴史を渡り、何度も技術的先駆者の役割を果たしてきました。特に重要だとお考えになる節目は何でしょうか。

ペーター・リーバーヴィルト: 私たちが心から誇りに思っている成果は数多くあります。国内において、東芝は日本に初めてラジオ受信機を導入し、1930年代初頭には最初の洗濯機や冷蔵庫も製造しました。1941年には、当時世界最大の水力発電所を建設しています。これは、当社が家電分野だけでなく産業分野においても、日本の近代化に重要な役割を果たしてきたことをよく示す例です。

また、デジタル革命にも大きく貢献してきました。半導体分野では、1984年に世界初の1メガビットDRAMを開発したことが画期的な一歩となりました。さらに、NANDフラッシュメモリの発明者でもあります。これは、非常に小型で高性能な記憶モジュールを実現できるデータ保存技術です。世界初の市販ノートパソコンも東芝が発売しました。加えて、0.85インチという世界最小のハードディスクドライブでも記録を保持しており、これはギネス世界記録にも認定されました。

現在、未来の世界を形作る技術にも取り組んでいます。たとえば、最大効率を目指した柔軟性のある太陽光発電モジュールや、量子通信技術です。東芝は量子鍵配送、つまり量子暗号化による安全な通信の分野も主導しています。現在の暗号方式は、将来の量子コンピュータには持ち堪えられないと考えられているため、この研究は実用性においても非常に大きな意義を持っています。

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―― ドイツでは、東芝は今でも主にコンピューターやテレビのメーカーとして認識されていますが、ここ数十年で、同社がどのような道を歩んできたのか説明していただけますか。

ペーター・リーバーヴィルト: 1980年代や90年代、ここドイツや欧州での東芝に対するイメージは、いわば不完全なものでした。当時、エネルギーやインフラ分野における当社の大規模なBtoB事業は主に日本やアジアに集中しており、欧州ではほとんど見えていませんでした。欧州での東芝は、ノートパソコン、テレビ、VCRといった強力な消費者向け製品ラインのブランドとして主に認識されていたのです。

こうした消費者向け製品からの転換は、二つの方向から生じました。先ず、世界市場そのものの変化です。1960年代、70年代、80年代には、電気製品には長寿命であることが期待されていました。当時は今ほど頻繁に技術革新が起こる時代ではなく、当社はお客様に長く満足して使っていただけるよう設計された高品質な製品を開発していました。しかし、同じ品質基準を今日実現しようとすると非常に高価になりますし、低賃金国の競合企業は標準的な製品をより安く生産できます。今や電子機器を10年以上使い続けることを期待する人はほとんどいないのです。第二に、社会的課題そのものの変化です。2000年代になると、エネルギー供給、持続可能性、デジタルインフラといったテーマが前面に出てきました。こうした分野では、東芝の品質に対する需要は消費者向け市場の時よりも、大きくなっています。品質にはコストが伴うため、それが本当に必要とされる領域で活かされなければなりません。

東芝がこれまで基幹技術の開発をリードしてきたことを語るデルプマンス氏

アーミン・デルプマンス: 今日まで東芝を特徴付けているものは、コア技術を発展させ続ける能力です。私たちの問いは決して、単に「今日何を売るか」ではありませんでした。むしろ、「エンドデバイスをどうすればより高性能に、より小型に、より省エネルギーにできるか」ということです。この技術革新の深度は、たとえば消費者向け製品が市場を牽引していた1970年代から1990年代にかけて、当社が半導体技術を大きく前進させた事実にも表れています。その後は通信業界や自動車業界でも同様のことを成し遂げました。そして今、エネルギー転換に取り組んでいます。活躍する分野は変わっても、私たちの理念は変わりません。

―― 現在、東芝は企業としてどのように構成されているのでしょうか。

ペーター・リーバーヴィルト: 現在、東芝は大きく3つの中核事業セグメントに分かれています。エネルギーソリューション、デジタルインフラソリューション、そしてデバイス&テクノロジーです。東芝エレクトロニクス・ヨーロッパ GmbH は、この最後のセグメントに属しています。

これに加えて、POSシステムや印刷ソリューションを開発する東芝テックという会社もあり、こちらは東芝の連結子会社に当たります。

2025年3月に終了した2024年度には、グループ全体で約3.5兆円、米ドル換算で約230億ドルの売上を計上しました。また、2025年3月31日時点で、世界全体の従業員数は約9万5,000人でした。

―― では、もう一度時代をさかのぼりましょう。ドイツにおける東芝の事業はどのように始まったのでしょうか。

ペーター・リーバーヴィルト: 1965年、デュッセルドルフに東芝インフォメーションオフィスが設立されました。当初は市場との連絡拠点としての役割を担っていました。したがって東芝は2025年に、創業150周年だけでなく、ドイツ進出60周年も祝ったことになります。4年後の1969年には、東芝ヨーロッパ GmbH、略してTEGがノイスに本社を置いて設立されました。実際の事業運営が本格的に始動したのは、1984年のPC事業の開始からです。1987年には二つの重要な決定が同時に下されました。ひとつは、東芝エレクトロニクス・ヨーロッパ GmbH、つまり私たちが、半導体に注力する独立組織としてTEGから分離されたこと。もうひとつは、レーゲンスブルクにPC工場が設立されたことです。

従業員数が最も多かったのは、PC事業とテレビ事業が最盛期を迎えていた時代で、その頃はノイスのTEGだけでも数百人の従業員がいました。現在では、TEEとTEGはデュッセルドルフの同じ拠点で業務を行っており、それぞれの欧州事業の本部となっています。

これに伴い、東芝エレクトロニクス・ヨーロッパ GmbH がEMEA(欧州・中東・アフリカ)地域における電子部品事業を統括することになります。支社はスウェーデン、イギリス、フランス、イタリア、スペインにあり、本拠点には約150人の従業員が在籍しています。私自身は1992年から同社に在籍しており、当初はプロダクトマーケティングエンジニアとして勤務していました。その後、欧州における車載半導体事業の立ち上げに携わり、マーケティング&オペレーション担当バイスプレジデントを務めました。2023年7月からは代表取締役社長兼CEOを務めています。私たちの製品分野は、ハードディスクドライブ(HDD)、パワー半導体、そしてSCiB高性能バッテリーの3つです。

―― ハードディスク分野において、HDDは御社の事業における重要な部分を占めています。SSDがPC市場を変革した後、この市場はどのように推移してきましたか?

ペーター・リーバーヴィルト: 現在、ハードディスクドライブは当社の事業の約60%を占めています。市場に根本的な変化があったにもかかわらず、この割合は安定しています。消費者向け市場は縮小傾向にあります。これは、個人ユーザーにとってSSDがより手頃な価格になったことが一因です。それでも当社のHDD事業の約40%を占めています。しかし、この分野での需要の減少は、世界的なハイパースケーラーであるAmazon、Google、Microsoftが巨額の投資を行っているデータセンターにおける需要の増加によって相殺されています。

当社は、少し前に、HDDのプラッタ枚数を12枚に増やすことに成功したことを特に誇りに思っています。これにより、2027年までに1台あたり40テラバイトの容量を実現する見込みです。消費電力は変わらないため、AIインフラのエネルギー需要が急速に高まっている現在、これはサステナビリティへの重要な貢献でもあります。

東芝エレクトロニクス・ヨーロッパGmbHの設立経緯について説明するリーバーヴィルト氏
―― 東芝エレクトロニクス・ヨーロッパにとって、半導体分野はどのような役割を果たしていますか。

アーミン・デルプマンス: パワー半導体は、電気エネルギーを効率的に制御・変換する必要があるあらゆる場面で鍵となる部品です。風力タービン、太陽光インバーター、電気自動車や充電ステーション、産業用ドライブ、そしてデータセンターのインフラなどに使用されています。これは私たちの中核事業であると同時に、最大の成長分野でもあります。

技術的には、3つのプラットフォームを区別しています。実績ある基盤としてのシリコン、より高い電圧・温度・スイッチング速度が求められる用途向けの炭化ケイ素(シリコンカーバイド)、そして窒化ガリウムです。近年、東芝は日本の加賀にある新工場に大規模な投資を行い、そこで最先端の低電圧シリコンベースMOSFETを製造しています。また、デュッセルドルフにはRegenerative Innovation Center(東芝が開設した欧州の技術開発拠点)も設立し、日本と緊密に連携しながら、欧州市場向けの将来技術開発を進めています。すなわち、欧州は今やグループ全体の研究開発方針に直接影響を与える重要な地域になっているのです。

さらに、私たちには40年以上にわたりモーター制御エレクトロニクス分野にて蓄積してきた知識があります。当社の部品は、産業用途、家電製品、自動車など、モーターを電子的に制御する必要があるあらゆる場面で使われています。ちなみに東芝は、1970年代にはすでに自動車エンジン向けとして初のマイクロコンピューターも製造していました。

―― 3つ目の事業分野であるバッテリーは、おそらく最も知られていない分野ですが、この分野で東芝はどのような活動を行っているのでしょうか。

フォルカー・シューマン: 私たちは SCiB というブランド名でリチウムイオン電池を開発・製造しています。ただし、その対象市場は、メディアで大きく取り上げられるような市場ではありません。電池市場の80〜90%を占める大規模市場は電気自動車向けであり、そこでは航続距離が最重要視されます。しかし、それは私たちの主戦場ではありません。私たちが対象としているのは、いわゆるヘビーデューティー用途です。つまり、電池が非常に高頻度で使われ、極めて多くの充放電サイクルに耐えなければならず、しかも短時間での急速充電が求められる分野です。

その代表例が地域鉄道です。ドイツでは、およそ3,000本の列車が、架線が一部にしかない路線を走っており、これは年間2億5,000万ディーゼル走行キロメートルに相当します。これらの列車は運行ルートが固定され、停車時間も決まっているため、架線のある区間に戻った際に充電することができます。したがって、航続距離は問題ではありません。課題はむしろ、30年の耐用年数の中で最大5万回の充電サイクルに耐えられる電池です。まさにそれを可能にするのが、私たちのチタン酸リチウム(LTO)技術です。ドイツではすでに100〜150本の地域鉄道車両がこの電池で走行しています。そして、今後数年でディーゼル車両全体を置き換える必要があるため、市場は急速に拡大しています。

大型機器向けの東芝SCiB高性能バッテリー事業について語るシューマン氏

同様の考え方は、特にノルウェーが先導役となっているスカンジナビアの船舶分野や、倉庫物流における自律移動ロボットにも当てはまります。地域鉄道を含むこれらの用途には省スペースで、多くの充放電に耐え、高い信頼性を備えた電池が必要だという共通点があります。一方、日本では、現在これらの電池の最大市場は自動車産業のマイルドハイブリッド分野であり、そこでもLTO技術は明確な優位性を発揮しています。

―― 近年、東芝の株式非公開化について多く語られてきました。同社は2023年に上場廃止となりましたが、それ以降、何が変わりましたか。

ペーター・リーバーヴィルト: この動きは、困難な時期を経た結果でした。2015年以降、東芝は原子力分野への投資、特にウェスティングハウス買収に起因して、かなり大きな経済的苦境を経験しました。その結果、安定した一貫性のある戦略を維持することが難しい株主構成になっていました。そこで2023年、会社を非公開化し、この機会を根本的な再編のために活用するという決定が下されました。

経営陣はすべての事業分野について徹底的な分析を行いました。有望な分野の強化や可能性のある分野の再構築を行い、一部の分野を売却しました。現在の事業計画では、2026年までに「売上高営業利益率10%」を達成するという明確な目標が掲げられています。最初の1年半を経た時点で、私たちはその達成に向けて順調に進んでいます。今では明確なリーダーシップと目標があり、より計画的に投資判断を行えるようになっています。

フォルカー・シューマン:  私は1990年代にもこの会社で働いていたので、根本的な違いを実感しています。当時、当社の従業員数は20万人から25万人ほどいて、会社は非常に巨大で、その分、動きも重くなりがちでした。変化そのものは痛みを伴うものでしたが、そのプラスの効果は小さくありません。今では、当社は以前よりもスリムで、迅速で、意思決定が明確になっています。かつては、物事を長く抱え込みすぎる傾向があり、それ自体は理解できることではあるものの、結果としてイノベーションのスピードを鈍らせていましたが、今は違います。

―― その変化を、ここドイツで実感できる具体例はありますか。

ペーター・リーバーヴィルト:  私や多くの社員にとって印象的だったのは、当社のグローバルCEOである島田太郎氏がデュッセルドルフを訪問し、タウンホールミーティングを開き、その中で一部をドイツ語で話してくれたことです。彼は以前シーメンスで働いていたため、ドイツ語が堪能なのです。彼は私たちに質問や意見を率直に出すよう促しました。これは、もっと大きな変化を象徴しています。つまり、東芝は今や、自社を孤立した事業単位の寄せ集めではなく、一体化された企業として捉えるようになったということです。これまでは、半導体部門の人間がエネルギー部門で何が起きているのかほとんど知らない、という状況でした。それが根本的に変わりました。会社は以前よりもはるかに透明性の高い組織になったのです。

―― 欧州部門と東京本社との日常的な連携は、どのようなものですか。

ペーター・リーバーヴィルト:  交流はさまざまなレベルで行われています。日本の経営層は定期的に欧州を訪れ、顧客と直接会って現地市場を視察しています。同時に、欧州の顧客が日本の工場を訪問することもあります。さらに、デュッセルドルフのチームには複数の日本人駐在員がおり、日本の組織を理解して動くうえでの助けとなるとともに、文化の橋渡し役も果たしています。

全体として、協力体制の質は向上しましたし、デジタルコミュニケーションツールのおかげで、私たちの距離はより縮まりました。誰かが隣の席に座っていても、東京で働いていても、あらゆるレベルでチャットを通じてコミュニケーションしています。新型コロナウイルスのパンデミックは、日本のデジタル化を加速させました。以前は在宅勤務がほとんど一般的ではありませんでしたから。

ドイツ支社と日本本社の関係について尋ねるアイヒシュテット

フォルカー・シューマン: ここ数年で、心理的な距離は本当に大きく縮まりました。ほんの10年前には、働き方やコミュニケーションスタイルに大きな違いがありましたが、今ではずっと少なくなりました。コミュニケーションはあらゆるレベルでよりオープンになり、日本側の語学力も大きく向上しました。非常に流暢な英語を話す同僚がどんどん増えてきています。

―― 今日の日本と欧州の交流における最大の課題は何ですか。

ペーター・リーバーヴィルト: 相互理解が進んだとはいえ、時差の問題は大きいです。さらに、見落としてはならない文化的なニュアンスもあります。ドイツ人と日本人には、正確さ、品質意識、長期的思考といった多くの共通点がありますが、コミュニケーションのスタイル、上下関係への向き合い方、意思決定のプロセスには違いがあります。

課題の一つは、欧州における市場機会について一度説明するだけでは不十分だということです。顧客ニーズや市場の動き、リスク評価等、切り口を変えて時間をかけて繰り返し伝えていかなければ欧州事業への投資の意思決定を得ることができません。これには忍耐と、日本の意思決定プロセスに対する深い理解が必要です。

アーミン・デルプマンス: 実際にその国で暮らしてみることはとても重要です。なぜなら、暮らしてみなければ理解できないことがあるからです。その意味で、駐在経験は相互理解をまったく新しいレベルに引き上げてくれるため、とても役に立つ経験となります。

日本本社と東芝エレクトロニクス・ヨーロッパの連携がさらに緊密なものになっていると述べるリーバーヴィルト氏

―― 東芝の未来には何が待っているのでしょうか。

アーミン・デルプマンス: 当社のCEOである島田太郎は、東芝の未来を形づくる二つの戦略的変革を打ち出しています。それはデジタルトランスフォーメーションとグリーントランスフォーメーション、つまりDXとGXです。これらは単なるマーケティング用語ではなく、私たちの製品戦略に対する直接的な指針です。再生可能エネルギー向けのパワー半導体、AIインフラ向けのハードドライブ、排出ゼロの鉄道輸送向け高性能バッテリーなど、エネルギー転換とデジタル化を支えるうえで不可欠な技術を開発しています。

その一例が、東芝が取り組んでいる新技術、Power-to-Chemical(P2C) です。これは、大気中からCO₂を回収し、それを炭素材料へと合成して、ほかの産業用途に再利用できるようにする技術です。私たちにとって、持続可能性は単なる広報上の取り組みではなく、まさに未来のビジネスモデルそのものなのです。

ペーター・リーバーヴィルト: 現在の私たちの製品、すなわちエネルギー供給、データストレージ、パワー半導体を見れば、1875年の電信技術から、今日の風力タービン向けパワー半導体まで、一本の線でつながっていることがわかると思います。そこにあるのは常に、エネルギーの生成、伝送、そして効率的な利用というテーマです。電球から量子コンピュータに至るまで、東芝は常に社会を変える技術の最前線に立ってきました。時とともに変わるのは技術やそのスケールであって、企業としての使命は今でも変わりません。

DXとGXは今後の製品戦略を支える重要な柱
―― 最後に、3~5年後、東芝はどのような存在になっているとお考えですか。

ペーター・リーバーヴィルト: 私は、東芝が欧州で、その技術力だけでなく、顧客やパートナーとの向き合い方においても、より広く知られる存在になってほしいと考えています。私たちには、エネルギー転換、デジタル化、データ主権といった分野における欧州の多様なニーズに応えられる幅広い技術ポートフォリオがあります。これをもっと目に見える形で発信していく必要があります。すなわち、欧州市場における信頼できる、戦略的に重要なパートナーとして認識される存在です。

そのために、私たちの強みへの投資を進め、最も成長可能性の高い市場に組織の焦点を合わせ、技術と顧客価値の両方を理解できる人材を育成しています。これが実現すれば、東芝は一緒に仕事がしやすく、技術的卓越性を中核に持ち、長期的な視点で取り組む会社として見られるようになるでしょう。

アーミン・デルプマンス: そこに、品質という側面を付け加えたいと思います。コスト競争が激しく、次々に新しい企業が参入してくる市場において、私たちは本当に重要なシステムに関して顧客が信頼を寄せるサプライヤーとしての地位をさらに強化していきたいのです。

フォルカー・シューマン: バッテリー部門にとっては、自社の技術によってエネルギー転換を具体的に前進させることが重要です。エミッションフリーの地域鉄道、ハイブリッドフェリー、安定した電力網は、抽象的な企業目標ではなく、将来の私たちの暮らしをより良くする製品やサービスです。すでに、シュヴァルツバルト地方やシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州において、当社のバッテリーで走る列車をエミッションフリーで運行させる基盤を築いています。これを、より大きな東芝の使命の一環として、ドイツ全土で実現していきたいと考えています。

東芝エレクトロニクス・ヨーロッパは、欧州市場における重要なパートナーとして、エネルギー転換とデジタル化に関わる技術革新の推進を目指す
 

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